アフリカの選手特有の身体、粘り強さとスピードに優れる選手。運動量が多く、攻守に絡めるスタミナを持つ。 また、センターバックだけでなく守備的MF、サイドバックとしてもプレーできるユーティリティーな選手である。
1996年、ナイジェリアのサッカークラブミシュラン・ポートハーコートのユースチームに加入。現クルー・アレクサンドラ所属のジョージ・アビーと共に成長した。二人は大の親友である。
1998年に、ベルギーの強豪スタンダール・リエージュへ移籍。トップチームデビューは2000年。3年間在籍し、46試合に出場し2得点を挙げている。
2001年にはオリンピック・マルセイユへ移籍を果たしたが、デビューしてすぐにスペインのCDテネリフェへローンで放出される。しかし、テネリフェでは9ヶ月間在籍したが1試合も出場する事はなかった。
2002年にアーセナル、ユベントスからオファーを受けるも、それらを断り7月7日にローンでエバートンへ移籍。ヨボはモイーズ政権で最初の移籍選手となった。また、ヨボは当初イングランドのクラブに移籍する気はなかったが、マクルズフィールドでプレー経験のあるジョージ・アビーに相談し、彼の助言のおかげで移籍する事が出来たと後に語っている。
モイーズはヨボのパフォーマンスに驚嘆し、即座に完全移籍のオファーを提示。長期間に渡る交渉の末、2003年5月におよそ£5mをマルセイユに支払い完全移籍を果たした。
2003−04シーズンには、エバートンの年間最優秀若手選手賞を受賞。2006年7月22日、5年間の大型契約を結んだ。
2006-07シーズンはリーグ戦全試合に出場。UEFAカップ出場権獲得に大きく貢献した。2007-08シーズンのUEFAカップ対AELラリッサにおいては、フィリップ・ネビルの不在もありチームキャプテンを務める事になった。クラブ創設130年余の歴史の中で、アフリカ人選手がエバートンのキャプテンマークを巻いたのはヨボが初めてである。
2009年5月22日、エバートンとの5年契約にサインした。2010年8月31日、フェネルバフチェSKへレンタル移籍。
2002年のアフリカネイションズカップでは全6試合に出場。準決勝でセネガルに敗れるも、3位決定戦ではマリ代表に1−0で勝利している。また、日韓W杯でも全試合出場を果たしたが、死のグループと言われたF組のクジを引いた事にも影響され、ナイジェリアはグループリーグで敗退してしまった。
2007年、ナイジェリアの恵まれない子供達を支援すべくJoseph Yobo Charity Foundation(ジョセフ・ヨボチャリティー財団)を設立した。
村の子供達が通う小さな学校から大学に至るまで、およそ300校以上のスクールに奨学金を寄付した。(2007年7月18日時点)
また、アヤックス・ケープタウンFCに倣って設立されたEverton Lagos FC(エバートン・ラゴスFC)と連携し、ナイジェリアのオゴニ地区にフットボール・キャンプを開いた。
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