スピードある司令塔。ラストパスの供給に加え、ドリブルの技術も高い天才肌の選手。ドリブル突破よりも状況を把握して出すラストパスが得意。トップ下であるが、ボランチでもプレイできる。
幼少期はユーゴスラビア紛争真っただ中であったため、過酷な環境で過ごす。7歳から本格的にサッカーを始め、地元クラブのNKザダルの下部組織に入団。16歳でディナモ・ザグレブの下部組織に移籍する。18歳でトップチームに昇格するものの、同じポジションにニコ・クラニチャールが居たため、H?Kズリニスキ・モスタルにレンタル移籍。ここで年間MVPの活躍を見せるものの、ディナモへの復帰は叶わず、翌年インテル・ザプレシッチに再びレンタルに出される。転機が訪れたのはクラニチャールがハイデュク・スプリトに移籍してから。2005年1月に急きょ呼び戻されると、ヨジップ・クゼ監督の下、エドゥアルド・ダ・シルヴァ、ヴェドラン・チョルルカ、オグニェン・ヴコイェヴィッチらとともに、リーグ優勝を達成。モドリッチもチーム内で確固たる地位を築く。
2008-2009シーズン夏季移籍期間にトッテナム・ホットスパーFCのクラブレコードとなる移籍金2300万ユーロ (37億6000万円) で移籍。
天才的なプレーと泥臭いプレーを兼ね備えるため、クラブの顔としてチームメイトやファンから愛される存在になっている。
代表でも早くから将来を期待され、ドイツワールドカップのメンバーにも選出されるが、同じポジションのニコ・クラニチャールも選出されたために、ほとんど出場機会を得られずに終わった。監督がスラヴェン・ビリッチに交代すると、それまでより1列下がったポジションを任され、代表のレギュラーに定着。ニコ・クラニチャールとの共存にも成功する。 EURO2008では「EURO2008最大の収穫」と評される活躍を見せるものの、チームはベスト8で敗退。しかし自身はUEFA選定大会優秀選手に選ばれた。
クロアチアの英雄ズボニミール・ボバンが少年時代のアイドル。憧れのクラブはFCバルセロナである。その容姿と背番号「14」からたびたび往年のスーパースター、ヨハン・クライフと比較されるが、本人はクライフのことは特に意識はしていない。背番号「14」を好んで付けるのも、ディナモでトップチームデビューした時に貰った番号だからである。
|