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国籍 |
ノルウェー |
生年月日 |
1980/09/24 |
ポジション |
SB MF |
身長・体重 |
185cm77kg |
特徴 |
シュート力 |
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▼選手紹介▼プレースタイル
優れたボディバランスとスタミナを武器に、左サイドを主戦場とする。サンダーボルト (稲妻) とも呼ばれる左足の強烈なミドルシュートを武器とし、その威力は世界屈指である。ゴールが見えるとシュートを打つ傾向にあるものの、枠内に飛べば強烈なシュート力故に、直接入らずとも二次的なチャンスに繋がる可能性も高い。また、スピードに乗った状態でのクロスボールは確かな精度を伴う。さらにゴール前まで届くロングスローを持つ。 怪我にも非常に強く、悪質なタックルを受けても平然としていることが度々見られる。攻撃参加も頻繁に行い、FWより高い位置にいることもあるが、守備を疎かにすることは少ない。
前述のように本職は左サイドバックで左サイドハーフでもプレーできるが、緊急時にはセンターバックも無難にこなす。
地元のオーレスンFKでキャリアをスタートさせた。デビューしてまもなく、リーグ・アン、ASモナコに引き抜かれた。 ASモナコには3シーズン在籍。3シーズン目の1999-2000シーズンにはリーグ・アン優勝に大きく貢献し、翌年夏にリヴァプールFCへ移籍した。
リヴァプールに移籍後、当時の監督ジェラール・ウリエと起用方をめぐって対立。出場機会に恵まれない不遇の日々を過ごした。 しかし、監督がラファエル・ベニテスに代わるとすぐにレギュラーとして活躍。2004-2005シーズンには、ハリー・キューウェルの長期離脱のため左サイドハーフを任され、9ゴールを記録。UEFAチャンピオンズリーグ
2004-05決勝でも左サイドハーフとして先発し、この大会の優勝に大きく貢献した。
その後ファビオ・アウレリオにレギュラーを奪われたことや後述のオウンゴールから、2008年6月18日に移籍金400万ポンドでセリエA、ASローマへ移籍。移籍当初はセリエAのサッカーに慣れず苦しんだが、徐々に適応しレギュラーを獲得。2009年3月1日のインテル戦で移籍後初ゴールを記録。3月11日のチャンピオンズリーグ・決勝トーナメント1回戦アーセナル戦では負傷したフアンの代わりに急遽CBに入り見事に穴を埋めて見せるなど攻守に活躍し、この試合のマンオブザマッチに選ばれた(ただしローマはPK戦の末敗退)。
2011年7月に3年契約でフラムFCに移籍。
UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05の準決勝でチェルシーを破った試合終了後、興奮の絶頂にあったリーセは、突然着ていたユニフォームを脱ぎだし、パンツまで脱ごうとしていたところをリバプールの関係者に取り押さえられた。冷静さを取り戻した本人はこの出来事を「危なかった。」と振り返っている。ただし、この試合に限らず、自らがゴールするとユニホームを脱いで喜びを露わにする癖がある。
赤毛のため、リヴァプール移籍直後は「ジンジャー」というニックネームを付けられたが、本人曰く「ノルウェーではこれくらいの赤毛は全く珍しくないので、何故自分が『ジンジャー』と呼ばれているのか分からなかった」とのこと。
2006-07シーズンのコミュニティ・シールドでは、対戦相手チェルシーのCKのこぼれ球を拾い、自陣の深い位置から1人でドリブルで攻め上がり、得意のミドルシュートで先制ゴールを決めた。
UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07、2月のFCバルセロナ戦前日に、1週間ほど前の合宿の打ち上げパーティで「カラオケを歌わなかった」という理由で、元チームメイトのクレイグ・ベラミーにゴルフクラブで足を殴られたとイギリス各紙で報道された。しかしその翌日の試合で、殴った張本人のベラミーからのパスを受け、2点目のゴール決め、勝利に貢献している。
UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08準決勝のホームでのチェルシー戦では1-0とリードした後半ロスタイムに、相手のクロスをクリアしようとしてダイビングヘッドをするもオウンゴールとなってしまい、引き分けに終わる。結局アウェーでは延長戦の末1点差で敗れ、リヴァプール敗退の戦犯となってしまった。
リヴァプールでのチームメイトであった、同クラブのキャプテンであるスティーヴン・ジェラードを尊敬している。
2009年10月22日のUEFAヨーロッパリーグ・グループリーグのフラム戦では弟のビヨルン・ヘルゲ・リーセとともに揃って先発出場を果たした。
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