4季連続でマンチェスター・シティのファン選出最優秀選手に選ばれている他、2006-2007シーズンには最優秀アイルランド人選手にもなっている。2007-2008シーズンからマンチェスター・シティの監督となったスヴェン・ゴラン・エリクソンもダンを「我々にとって特別な、本当に特別な選手」と形容している。
ダブリンでサッカーを始め、16歳の時にエヴァートンと契約。2000年の秋に300万ポンドの移籍金でマンチェスター・シティに移る。当初は右サイドバックとして起用されたが、すぐにセンターバックにコンバートされ、頭角を現す。2002-2003シーズンにはしばらくポジションを失ったが、その後きっちりと体を絞ってケヴィン・キーガン監督の信頼を取り戻し、レギュラーのポジションを奪回している。2004-2005シーズンにはマンチェスター・シティのサポーター選出によるシーズン最優秀選手となる。2006年1月からマンチェスター・シティの主将を務めている。
主将となった2006-2007シーズン、マンチェスター・シティは得点力不足に喘いだが、ダンを中心とする鉄壁のディフェンスによってこれを凌ぎ、降格圏転落を回避し続けた。このシーズンのマンチェスター・シティはイングランドのトップリーグ史上、ホームでの得点が最も少なかったクラブという記録を樹立したが、それでも降格されなかったのは彼の功績と言って過言では無い。
2007-2008シーズンはセンターバックの相棒がマイカ・リチャーズとなったが、リチャーズの抜群の身体能力を持って相手をチェックし、ダンのカバーリングでボールを奪うというシーンが多々見られた。リーダーシップも見事で、前半戦の快進撃の原動力となった。後半負けは無くもなかったが、勝てる試合を落とすことが多く、シーズン終盤、リチャーズが故障で戦列を離れるとクラブの失点は増え、さらに順位を下げるという結果を生んでしまった。それでもクラブ史上、プレミアシップで最も多くの勝ち点を獲得したシーズンとなった。しかし最終節にはミドルスブラ戦で、8失点を許し大敗している。
一方でクラブのオーナーとエリクソン監督の不和がささやかれるようになった為、クラブの先行きは不透明なものとなり、これに不信感を抱いたダンとクラブの契約延長交渉は暗礁に乗り上げた。ダンの移籍は確定かと思われ、ポーツマスはダン獲得の意思を公にしたが、新たにブラックバーンから引き抜かれたマーク・ヒューズ監督が着任すると、間もなくダンはシティとの契約を4年間延長した。
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