戦術に全くとらわれない自由奔放なプレースタイルで知られる。好調時には、左足一本で1人で試合を決めてしまうプレーぶりから「左足の独奏者(ソリスト)」とも称えられたが、不調時には「夢遊病者のようにグラウンドをうろついているだけ」と批判された。これらの激しい好不調の差は、極端なときは絶好調と絶不調の波が試合の前半と後半で現れることもあった。全盛時でも乱調のシーズンが多かったが、神懸かった時のプレーの印象は鮮烈で、多くのインテルファンに愛されてきた。特にインテルでのデビュー戦での40m級のロングシュートと、同じく30m級の直接FKは今日でも語り草となっている。同試合でデビューした怪物ロナウドの存在が霞むほどであった。
レコバの全盛時代にインテルで監督を務めたマルチェロ・リッピは、レコバについて「その凄絶な個人技が、チームのためでなく、あくまで彼個人のショーとして披露されることを許容できない」として、ベンチに置くことも少なくなかった。レコバがインテルでの晩年に、監督を務めたロベルト・マンチーニからは出番を与えられず、不仲が続いた。マンチーニはレコバがチームを去る際、「驚異的な才能を備えた選手だと常々思っていた。特に若い頃は素晴らしかった。私のキャリアの中でもあれ程の有り余る才能を目にする機会は無かった」としながらも「観戦する側としては楽しめるが、監督の身分としてマネジメントするには困難な選手だった」と述べている。
長年クラブの会長を務め、インテルのパトロンであるマッシモ・モラッティはレコバの大ファンとして知られており、全盛期に数多くあった他クラブからのオファーをことごとく断っていたという。このことから、「モラッティの秘蔵っ子」ともしばしば称されていた。
趣味は寝ること。サッカーの次に好きなスポーツを睡眠と語っており、休日で予定のない時には夕方まで寝ているという。
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