鋭い突破に見る者の目を奪う華麗な個人技が持ち味。母国ポルトガルでは、プレー風貌に類似する点が多いクリスティアーノ・ロナウドを模範として「第二のロナウド」と評され、2010年10月には同僚のギグスから「ロナウドの穴を埋めた」と評され、同時にシーズン20ゴール20アシストをひとつの目標として示される。球離れの悪さはしばしば批判の対象になるが、甚だし局面の打開力は魅力的で、その点においてもユナイテッドに移籍してきた初期のロナウドに共通している。クロスの精度は高く、比較的左サイドに位置するため切り返してからのクロスが多いが、速くゴールエリア付近に落とすボールを蹴る。また、出場した際はCKのキッカーも任されている。
中央に切り込みミドルシュートに繋げる形もしばしば見せ、膝下の振りが速く威力のあるシュートを蹴る。07-08シーズン第4節のトッテナム・ホットスパー戦で決めたユナイテッド移籍後初ゴールとなる25mオーバーのシュートが印象的である。
ゴールを決めた後のアクロバティックなパフォーマンスも有名。後方1回宙返り1/2ひねりを基本に、俗にバッファローと呼称される前方への後方宙返りや、ロンダートを応用した宙返りなどがある
カーボベルデ諸島の首都プライアに母マリア・ドゥ・セウ・アウメイダと父ドミンゴス・ダ・クーニャの間に生まれ、カーボベルデとポルトガルの二重国籍者である。彼が幼い頃に家族でポルトガルに移り住み、リスボンにほど近いアマドラで育つ。幼少期に空き地で一緒にフットボールで遊んでいた友人にマヌエル・フェルナンデスがおり、現ボルトン・ワンダラーズ所属のリカルド・ヴァス・テもそうである。
スポルティング・リスボンで18歳という年齢でトップチームに昇格し、2006/2007シーズンには29試合5得点を挙げ、ポルトガルカップで優勝を果たす。
世代別代表としては2006年夏にポルトガルU-21にて開催された3試合全てに出場。2006年9月にはフル代表デビューを果たし、デンマーク戦で得点を挙げている。
マンチェスター・ユナイテッドでプレーするナニ(2008年)UEFAチャンピオンズリーグFCスパルタク・モスクワ戦での活躍をきっかけに脚光を浴び始め、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督にライアン・ギグスの後継者として目に止まる。当時、獲得にはFCバルセロナも興味を示していた。2007年夏にトッテナム・ホットスパーFCからのオファーも届いていたが、マンチェスター・ユナイテッドFCへの移籍を決定。直後の会見にてマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を「夢の実現」と表現している。
09〜10シーズンの前半戦は低調なパフォーマンスに終始し、トレード要因として名前も挙がっていたが、1月のマンチェスターダービーから調子を上げ、シーズン終盤には欠かせない戦力へと急成長を遂げた。その後、2010 FIFAワールドカップメンバーに選出されるものの鎖骨の負傷が完治せず、離脱を余儀なくされた。
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