FCバルセロナのカンテラで育つ。ここでリオネル・メッシやジェラール・ピケらと共にプレーし た。2003年のU-17世界選手権にU-17スペイン代表の一員として出場し準優勝を果たす。自身も5ゴ
ールを挙げて得点王に輝くと共に、大会最優秀選手に選出された。FCバルセロナでも才能は認め られていたものの、トップチームにはシャビやイニエスタなどの同ポジションの選手がいたため
、大会後間もなく才能に惚れ込んだアーセン・ヴェンゲル率いるアーセナルがスペイン、イング ランドの労働法の隙間やFCバルセロナの会長選という期間を狙って無料で獲得。しかし、その後
裁判所からFCバルセロナへの85万7000ユーロ(約1億2000万円=当時)の支払い命令が下る。 パトリック・ヴィエラの放出に伴いチームの舵取りを委ねられた2005-2006シーズンには、シーズ
ン当初は経験不足を感じさせるプレーも多かったものの、シーズンが深まるにつれて調子を上げ 、それにつれチームも波に乗っていった。UEFAチャンピオンズリーグのユヴェントス戦ではゲー
ムを支配し、自ら先制点を奪う活躍を見せてチームの勝利を演出。前任者ヴィエラの眼前でその 穴を埋めたことを見事に示してみせた。
2006-2007シーズンより、ヴィエラが背負っていた背番号「4」を受け継ぐ事になった。シーズンオフより移籍の噂が絶えなかったが、新たにアーセナルと8年契約を結んだ。また2007年1月に発表された「2006年UEFA.comユーザーが選ぶベストイレブン」に、唯一10代で選ばれた。また、同シーズンはプレミアリーグでアシストランキング1位となった。
2008年11月29日のディナモ・キエフ戦からはウィリアム・ギャラスに代わってキャプテンを任されている。アーセナルではトニー・アダムスに次ぐクラブ史上2番目の若さとなるキャプテン就任となった。
2011年8月、ユース時代に所属していたFCバルセロナへ5年契約で移籍。移籍金は最大3900万ユーロ(約43億円)といわれる。 背番号はアーセナルで愛着のある。
2010年のワールドカップでもスーパーサブとして臨み、主に膠着状態を打破するために途中出場した。決勝戦のオランダ戦では80分から投入され、延長後半のイニエスタの決勝点をアシストするなど活躍した。優勝後、「自分が成長し、ここまで到達できたのは、正しい道に導いてくれた
アーセナルの関係者のおかげです」とヴェンゲルに伝えている。
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