イギリス・ロンドン出身のイングランド代表のサッカー選手。ポジョションはDF。「世界最高の左サイドバック」との呼び声も高い。ライン際の駆け引き、フェイント、連携の全てに秀でている。
母は白人、父はバルバドスからの移民。歌手のマライア・キャリーと親戚関係にある。
地元アーセナルの下部組織に加入し、クリスタル・パレスへレンタル移籍した後、アーセナルへ復帰。持ち前の突破力と的確なクロスでレギュラーを掴み、2001-2002シーズンにはFAプレミアリーグとFAカップでそれぞれ優勝を収めた。その活躍が認められ、2001年3月28日のアルバニア戦でイングランド代表デビューを果たし、2002年の日韓W杯では5試合に出場した。2006年にはウィリアム・ギャラス+700万ユーロのトレードでチェルシーに移籍。加入した序盤はあまり馴染めずにいたものの、徐々に順応していった。2008-2009シーズンはウェイン・ブリッジが移籍した事もあり、代えの利かないサイドバック選手として活躍し、プレーヤーズ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
2009-2010シーズンは中盤戦に負傷離脱もあったが終盤に復帰。チームメートのアネルカと共に異なる二つのチームでFAプレミアリーグとFAカップの二冠を経験した史上初の選手となり、またFAカップ史上最多である六度目の優勝を果たした(アーセナルで三度、チェルシーで三度)。ファン投票による2010年度のイングランド・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー
2010の最優秀選手に選出された。
古巣アーセナルのファンからは今でもブーイングが絶ない。しかし別のインタビューではアーセナルが英国のクラブであるのにもかかわらず、クラブ内で主にフランス語が話されていると告白し、英国人の自分が馬鹿にされているのではと思った、との話から環境的な理由もあったと伺える。(フランス語については監督のアーセン・ベンゲルをはじめフランス語圏系の人間が多い影響もある。他にも過去に所属していたロベール・ピレスの同じような証言や、彼の友人であるMFジャーメイン・ペナントがアーセナル在籍時に「このチームでイングランド人は通用しない」などと平然と批判している。)
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