ロシアリーグ・ベストプレーヤー33のディフェンダー部門で10年連続1位に選ばれている。
1998年に、スパルタク=オレホヴォ・オレホヴォ=ズエヴォ(現・ズナーミャ=トルーダ・オレホヴォ=ズエヴォ)でプロデビュー。翌1999年にはクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラへと移籍し、2シーズンを同チームで送る。その後2001年にFCロコモティフ・モスクワへと移籍。在籍中は、ロシア・リーグ、ロシア・カップ、ロシア・スーパーカップの3つの主要タイトル獲得に貢献。UEFAチャンピオンズリーグ
2002-03ではチームの2次リーグ進出、UEFAチャンピオンズリーグ 2003-04ではベスト16進出にも貢献した。2004年からCSKAモスクワへと移籍。リーグ2回、カップ5回、スーパーカップ4回、UEFAカップの優勝に貢献し、近年のCSKA躍進のひとりである。チームメイトでロシア代表のベレズツキ兄弟との3CBトリオは抜群の完成度を誇る。
2009年11月3日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2009-10のグループリーグ第4節のマンチェスター・ユナイテッドFC戦の後に行われたドーピング検査で陽性反応が出た。CSKA側はカゼ薬を投与した事、メディカルスタッフの手続き上のミス、禁止薬物リストには記載されていなかった、との声明を出した。UEFAは同年12月17日、アレクセイ・ベレズツキとともに、1試合(グループリーグ最終節のベシクタシュJK戦)の出場停止処分を科した
。最終節の試合には出られなかったものの、CSKAはグループリーグを突破。UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦の1stレグ2stレグのセビージャ戦ではスタメンで出場し、ロシアクラブ初のベスト8進出に貢献をした。
EURO2004予選ではレギュラーとして活躍したが、大会直前で怪我をしてしまいEURO2004を棒に振る。EURO2008本大会のグループリーグのスペイン戦ではスタメンを外されたが、ロマン・シロコフの失策によりギリシャ戦からスタメンに復帰している。2009年9月5日のリヒテンシュタイン戦で、代表通算50試合出場を達成した。
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