セネガルの首都ダカールで生まれ、幼少の頃にフランスへ渡り、1993年にASカンヌでプロデビューを果たした。その後1996年にACミランへ移籍するが出場は僅か2試合にとどまり、才能を開花させたのはプレミアリーグのアーセナルFCに移籍してから。同じフランス人の監督アーセン・ベンゲルのもとで冷静さと戦術眼に磨きをかけチームの中核に成長した。
1997年の初招集以来、フランス代表にも長く名を連ねており、1998年フランスW杯とEURO2000の連続制覇の時は貴重なバックアップとして経験を積んだ。2006年から2009年にかけて、フランス代表キャプテンを務めた。
2004年、ペレが選ぶ「FIFA 100」に選ばれた。2005-2006シーズンは7年間キャプテンを務めたアーセナルからセリエA・ユヴェントスFCへ移籍しスクデット獲得に貢献したが、クラブの大規模な不正疑惑の影響で剥奪されて幻となってしまった。結局ユベントスは2部落ちし、2006-07シーズンからは同じくセリエAのインテルへ移籍。だかこのシーズンから怪我が多くなった。
かつてシニシャ・ミハイロヴィチと試合中に口論になり、黒人差別発言をされたことがある(ただし、ヴィエラも「ジプシー野郎」と発言したとされる)。インテル移籍により同じクラブでコーチと選手という間柄になったが、ヴィエラ曰く「あの件はもう過去のことですから」とのことだった。しかし、2006-07シーズン最初のミラノダービーの試合後、ロッカールームで乱闘騒ぎを起こした(後述)。
2010年1月8日、出場機会を求めてマンチェスター・シティFCへの移籍が決定した。契約期間は半年で、シーズン終了後には1年の契約延長オプションが付いている。
2011年7月、現役引退を表明した。
アーセナル時代、レアル・マドリードから100億円以上のオファーが来たと報道され、移籍しなかったことを後悔していたと言われていた。
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