1990年代後半から2000年代前半にかけて「世界最高のサッカー選手」と称えられた名選手で、クラブ・代表を通じて攻撃的ミッドフィールダーのポジションで活躍。高いテクニックとボールコントロール、キープ力などから宇宙人とも称され、FIFA最優秀選手賞3度、バロンドール、ゴールデンボール賞などの個人タイトルに加え、ワールドカップ、欧州選手権、トヨタカップ、チャンピオンズリーグなどの主要タイトルをすべて制覇。FIFA100選にも名を連ねている。
ルイ・ヴィトンの広告で共演した際、ペレはジダンについて「もしジダンのような選手がサポートについてくれていたら2倍のスコアを叩き出したかもしれない」と語り、ディエゴ・マラドーナは 「もう少し小柄であれば史上最高の選手だった」と語った。カルロス・アルベルト・パレイラからは怪物と呼ばれ、フランツ・ベッケンバウアーは「史上最高のプレイヤーの一人、本当に素晴らしい選手」とした。ミシェル・プラティニは「コントロールやパスなど、基本的な技術に関してジダンは王である。ボールを受け、コントロールすることにおいて誰も彼と同等のことは出来ないと思う」と評価した。
レアル・マドリードで共にプレーしたロベルト・カルロスは、2010年のレキップ紙のインタビューで「今まで見た中でベストの選手」と話し、同じくデビッド・ベッカムは「史上最高の選手」と語った。また、FCバルセロナなどで対戦したシャビは2010年のインタビューで、エル・クラシコにおいて最も苦労した選手に挙げて「1990年代から2000年代前半にかけてのベストプレイヤー」と語り、ロナウジーニョは「歴代最高の選手で、自分のなかでのアイドルの1人」とし、ベストプレイヤーに名前を挙げた。
2005年、フランスがFIFAワールドカップ・ドイツ大会予選敗退の危機に陥るとレイモン・ドメネク監督の説得を受け、クロード・マケレレ、リリアン・テュラムと共にフランス代表に復帰を表明。パトリック・ヴィエラからキャプテンマークを譲り受け、予選敗退危機にあったフランスを本大会出場へ導いた。
大会後の引退を公言して臨んだ本大会では、グループリーグ序盤では低調だったものの、試合を重ねるごとに復調し、フランスも決勝戦まで進出した。準々決勝ブラジル戦ではティエリ・アンリの決勝ゴールをアシストし、この試合のMVPに選ばれた。これまでジダンのアシストからアンリがゴールを決める場面は、共に出場したフランス代表55試合で1つもなく、メディアからの批判を受けていたが、これが初めてにして唯一のアシストとなった。試合後、ペレはジダンについて「魔法使いだった」と賞賛した。決勝イタリア戦では延長戦後半、マルコ・マテラッツィの言葉に激昂。頭突き行為でレッドカードを受け退場し、現役最後の試合を終えた。(詳細はジダンの頭突き問題を参照)フランス代表も準優勝に終わったが、大会中の活躍が評価されMVPを受賞した。
ワールドカップ通算12試合5得点、欧州選手権通算13試合5得点。ワールドカップ決勝通算3得点はペレ、ヴァヴァ、ジェフ・ハーストと並び史上最多タイ、また2大会に渡る決勝戦でのゴールはペレ、ヴァヴァ、パウル・ブライトナーに続き史上4人目。
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