ベッケンバウアーという選手をリベロ・システム抜きに語ることは出来ない。いわば「攻撃に参加するスイーパー」であるこのポジションは、「ディフェンダーは守備の専門」という従来の概念を覆すことになった。イタリアのカテナチオにおけるスイーパーの役割がDFラインから一列下がり相手の攻撃の芽を摘み取る役割に徹していたのに対し、リベロ・システムは、そのDFライン後方の深い位置から効果的なパスを繰り出すなど攻撃の起点となり、また機を見て前線に攻め上がり得点機に絡んだ。
DFの攻撃参加自体は既に1960年代頃からイタリアのジャチント・ファッケッティによりなされていた。厳密にはファケッティのポジションは中央ではなくサイドバックだったが、ベッケンバウアーは中央に位置するスイーパーにも出来ないはずがないと、ファケッティの攻撃的なスタイルに触発された結果が攻撃的なスイーパー=リベロの誕生へと繋がった。
ベッケンバウアーは少年時代にセンターフォワードを務めていたが、所属するバイエルン・ミュンヘンの下部組織では戦術で雁字搦めにすることはなく、伸び伸びとプレーをさせていた。ある試合でストッパーの役割を任せられたベッケンバウアーは、守備だけには飽き足らず力を持て余すと、気をみてゴール前に攻めあがって得点を決めてしまうこともあった。その後もストッパーの役割だけに留まらず中盤に上がれば効果的なパスを繰り出し、前線に攻めあがることを繰り返したという。こうした行動はDFは守備の専門家という定石を無視したものであったが、後に「君のプレーは全ての指導法に反するものだが、そのまま続けなさい」と認められそのままプレーを続けた。自身が確立させるリベロ・システムの原型や選手としてのユーティリティー性は少年時代から培われていたのだった。
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