柔らかいボールタッチや両足を使うスピードの落ちないドリブル、パスセンスは世界でも最高クラスである。また、その持ち前のドリブルをパスワーク織り交ぜる術を身に着けているため、単独突破とはまた別の驚異的な突破ができる。トップ下や両サイドハーフ、セカンドトップとしてのプレーが主である。運動量が豊富で献身的な守備も持ち味である。 ゴール前でも徹底してシュートを打たずにパスを選択することで知られ、味方へのアシストを優先するその姿勢は賛否両論がある。
1999年、BATEボリソフ在籍中にベラルーシリーグ優勝に大きく貢献。AEKアテネからのオファーもあったがブルガリア代表のクラシミール・バラコフとのプレーを望み、ドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトに移籍した。以降中心選手として活躍し頭角を表す。2005年よりアーセナルFCへ移籍した。2008年に移籍金1500万ユーロ(約24億円)でFCバルセロナへと移籍した。2008-09シーズンにバルセロナはリーガ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグと3冠を達成するも、フレブは満足のいく出場機会を勝ち取れなかった。結局古巣のシュトゥットガルトへレンタル移籍で復帰。2010年はバルセロナに一旦復帰したが、直ぐにバーミンガム・シティFCへレンタル移籍した。
元チームメイトのセスク・ファブレガスと公私にわたって仲が良い。また、セスクからは「明らかに自分よりも巧い選手であり、世界でもトップクラスの実力を持っている。もっと評価されるべき選手だ」と絶賛されている。
フレブが最初にシュツットガルトに所属していた時に、当時バイエルン・ミュンヘンに所属していたミヒャエル・バラックが「フレブが加入すればチャンピオンズリーグも優勝できる」と発言した。
弟は、中国の深圳紅鉆でプレーするFWヴィアチェスラフ・フレブ。ヴィアチェスラフもベラルーシ代表である。
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