2010年から2011年にかけて、世界最高のサイドバックと称された。
2001年にクルゼイロECでプロデビュー。主力選手として2シーズンを過ごし、2003年のCONCACAFゴールドカップ初戦のメキシコ戦で(23歳以下の年齢制限付きながら)ブラジル代表デビューを飾った。続くホンジュラス戦で代表初得点を記録。2004年のコパ・アメリカでは優勝を経験している。
2004年から2006年までフランスのASモナコで過ごしたのち、ロベルト・マンチーニのラブコールを受け、2006年夏にイタリアのインテルに移籍した。当初は守備に重きを置く役割に戸惑い、「攻撃を愛する僕がなぜディフェンダーなのか」とコメントした事もあったが、レギュラーポジションを奪取。移籍初年度でチームのリーグ優勝に貢献した。
2008-2009シーズン終了時にはマンチェスター・ユナイテッドなどの他のクラブへの移籍の噂もあったが、結局インテルに残留した。
2009-2010シーズンはセリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグの3大会で合計7ゴール12アシストの成績を収め、イタリアのクラブ史上初の主要タイトル三冠達成に貢献した。
2010 FIFAワールドカップ初戦の北朝鮮戦では先制点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出された。
|