ヨーロッパ・ゴールデンシューを2度受賞しているストライカー。ウルグアイ代表の最多得点タイ記録の保持者であり、2010 FIFAワールドカップではMVPを受賞している。
小柄ながら得点に関する嗅覚や創造性さらに素早い動きからの正確でいて強烈なシュートを両足から放つことができるウルグアイ史上最高のFWである。スタミナも凄まじく試合中ずっと前線からのプレスをかけることができ、相手DFにとってはとても驚異となる。プレイスタイルは長身ではないがサイドに流れることはあまりなく中央でどんと構え抜群の反射神経でゴールを決める。そしてドリブルで攻め上がり強烈なミドルシュートを決めることもできる。ゴールデンブーツ(欧州得点王)を2度も獲得した欧州そして世界最高峰のゴールゲッターである。
ワールドカップカップ出場した偉大な父を持つフォルランは、幼少から運動神経、潜在能力に優れサッカー以外で特にテニスに関してはプロになれる逸材と評されていた。そして15歳になった年に父が現役時代所属していた地元クラブ、ペニャロールと契約を果たす。その後素晴らしい成長を遂げ2001年にアルゼンチンの名門インディペンディエンテへ引き抜かれる。
そして4年間を素晴らしい活躍を見せ世界的に注目されるとイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドへ01/02シーズン途中に引き抜かれる。しかしなかなかイングランドサッカーに馴染めずポテンシャルの高さを発揮することができなかったが、02/03シーズンの10月に行われたアストン・ヴィラ戦にてプレミア初得点を記録する。このゴールで爆発するかと思われたがこのシーズン6ゴールに留まり決定力不足に再び陥ってしまう。そして04/05シーズンからイングランド代表のルーニー等が加入し出番が減ったため心機一転スペインの古豪ビジャレアルへ移籍を果たす。そしてこの地においてフォルランの新の姿が見られることとなる。
アルゼンチン代表リケルメを中心としたチームにおいて素晴らしいコンビを形成しスペインの名門バルセロナ戦でハットトリックを達成するなどゴールを量産し25ゴールを挙げ初めて得点王を獲得すると欧州で最高のゴールゲッターに送られるゴールデンブーツ賞を当時アーセナルに所属していたフランス代表アンリと共に獲得した。そしてチームを初のチャンピオンズリーグ出場権獲得に導く多大なる貢献を果たした。
そして05/06シーズンにはチャンピオンズリーグにて11試合に出場しチームの初出場ベスト4という快挙達成の原動力となる。その後06/07シーズンには19得点を記録し、07/08シーズンからはリバプールへ移籍したフェルナンド・トーレスの後釜としてスペインのビッグ3の一角であるアトレティコ・マドリーに引き抜かれる。ここではアルゼンチン代表アグエロとのコンビを形成し初シーズン16ゴール挙げる活躍を見せる。
そして08/09シーズンには序盤こそチームは低迷するがその後復活し自身もチャンピオンズリーグで活躍するとリーガエスパニョーラではバルセロナのカメルーン代表FWエトーと最後まで得点王を争った。圧巻だったのは4月18日に行われた31節ヌマンシア戦以降9試合連続ゴールを達成する活躍を披露し見事96/97シーズンの元ブラジル代表FWロナウドが記録して以来の30得点以上となる32得点を決め得点王に輝くと再び欧州得点王も獲得しゴールデンブーツ賞を獲得した。
代表では1999年に行われたワールドユースにて素晴らしい活躍を披露しウルグアイをベスト4進出へ導いた。そして2002年3月に行われたサウジアラビア戦にて代表デビューを果たすといきなりゴールを決め当時監督を務めていたプア監督の信頼を掴みワールドカップ本大会へ選出された。その後ウルグアイ代表には欠かせない選手へと成長を果たした。
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