「イスラエルの至宝」と評される同国随一のファンタジスタ。きめ細かで繊細なボールタッチを基調とした柔らかくもキレのあるドリブルが持ち味で、パス・ドリブルともにプレミアリーグの中でトップレベルにあると評される。 中でもドリブルのコース取りは一級品である。爆発的なスピードや複雑なフェイントは無いものの、キレと読みが抜群に優れており、相手の動きを読んで相手選手の間をするりするりと抜けていくドリブルはある意味衝撃的である。もとは司令塔タイプの選手だったが、リバプール移籍後は主に3トップの一角としてFWの役割を任されている。
1997年、17歳で自国のハポエル・ベエルシェバにてプロキャリアをスタートさせる。1年目にして15得点を記録するも、チームは2部に降格してしまう。しかし、この活躍が認められ翌シーズンよりイスラエル・プレミアリーグの名門マッカビ・ハイファFCへ移籍。2000-2001シーズンにはリーグ優勝を達成し、このシーズンのリーグ最優秀選手にも選出された。さらに、2001-2002シーズンにはリーグ連覇を達成した。
2002年、リーガ・エスパニョーラのラシン・サンタンデールへ移籍。バリャドリードとの開幕戦にてリ−ガデビューを果たす。その後は毎年最終節まで残留争いを演じていたチームにおいて、3シーズンにわたりチームの1部残留に貢献した。また、2004-2005シーズンの33節にはハットトリックも達成している。リーガで3シーズンを過ごし、2005-2006シーズンからは活躍の場をプレミアリーグのウェストハムへ移す。
2005年8月13日のブラックバーン戦にてプレミアデビュー、FAカップではチームを決勝にまで導いた。
2007年7月にリヴァプールに移籍。移籍金は推定500万ポンド (約12億5千万円) と見られている。リヴァプールに移籍するにあたり、ベナユンの実力はビッグクラブに見合うものなのか否かという懐疑的な意見が少なからず見受けられた。しかしチームの窮地を救うゴールを幾度も挙げるなど、リヴァプールでも攻撃にアクセントを付けられる貴重な存在として活躍している。特に08/09シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグのアウェーのレアル・マドリード戦では決勝点、4-4という劇的なスコアとなったプレミアリーグのアーセナル戦ではロスタイムでの同点弾を含む2ゴールなど、ビッグクラブを相手にした活躍が高い評価を得ている。
2010年7月にチェルシーに移籍金550万ユーロの3年契約で移籍。8月8日のコミュニティー・シールド、マンチェスター・ユナイテッド戦でチェルシーでのデビューを飾ると、プレミアリーグ第2節のウィガン戦で移籍後初得点を挙げた。
1996年にU-16UEFA欧州選手権に出場。1998年11月18日のポルトガルとの親善試合で、18歳にしてA代表デビューを飾った。1999年9月5日のEURO2000予選、キプロス戦で代表初得点を記録。イスラエル代表の中心として活躍し、EURO2008予選からはキャプテンを務めている。
1999年9月8日のサンマリノ戦と2010年9月3日のマルタ戦の2度、ハットトリックを記録している。
2007-2008シーズンUEFAチャンピオンズリーグのグループA第4節、ベシクタシュ戦ではチームは8-0という大会最多得点差で勝利を収めたが、この試合でベナユンはハットトリックと2アシストの大活躍を見せた。
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