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国籍 |
イングランド |
生年月日 |
1980/12/07 |
ポジション |
DF |
身長・体重 |
187cm90kg |
特徴 |
空中戦の強さ |
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▼選手紹介▼プレースタイル
FIFPro年間最優秀選手賞の守備部門に創設された2005年度から4年連続で名を列ね、UEFAチャンピオンズリーグの最優秀DF賞を2005年と2008年に2度獲得、PFA年間最優秀選手賞を2005年に獲得などの実績がある。
フィジカルに長け、1対1と空中戦に無類の強さを見せる。深い読みを生かしたパスカットも得意。体格を生かしたヘディングは世界でも最高クラスである。このためセットプレー時には得点源として期待される。また時節、果敢な攻め上がりを見せ、チームに奮起を促すこともある。闘争心を全面に出した気迫溢れるプレーと高いキャプテンシーを持ち、リーダーとしての資質も高い。
敵味方関係なく相手のネーミングに臆しない所があり、新人の頃に不甲斐無いプレーをしたジャンフランコ・ゾラに怒鳴ったことがある。
主力選手としては大きな背番号「26」を背負い続けているが、これはかつて「25」を背負っていたチェルシーの英雄、ジャンフランコ・ゾラへの敬意であり、「もう一歩進めば、偉大なゾラに追いつける」という思いが込められている。
少年時代からチェルシーFCのアカデミー(下部組織)に所属する。トップチームに昇格したての頃は同じポジションにマルセル・デサイーやフランク・ルブーフがいたため出場機会はほとんどなかったが、ノッティンガム・フォレストへのレンタル移籍を経て2000-01シーズン、当時の監督だったクラウディオ・ラニエリに重用され出場機会が増加。2003-04シーズンには衰えが隠せなくなったマルセル・デサイーに代わりディフェンスラインを統率した。
2004年にジョゼ・モウリーニョが監督に就任するとチームのキャプテンに指名される。モウリーニョがフランク・ランパードらイングランド人とともに主将テリーに託した「率先してチームを引っ張ってほしい」という言葉通りに抜群のキャプテンシーを発揮。守っては、そのモウリーニョとともにやって来た新加入のディフェンダー・リカルド・カルヴァーリョとともにリーグ最小失点の堅陣を築いた。ディフェンスだけには収まらず攻撃の場面では得意のヘディングでゴールを量産した。中でもUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメント一回戦FCバルセロナ戦でのヘディングのゴールはチームを救う一撃となった。尚、このシーズンで自身初となるUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ディフェンダーに選出されている。
2006年10月14日のレディングFC戦では、GKのペトル・ツェフが前半開始早々に相手MFスティーヴン・ハントのひざが頭に直撃し負傷退場となった上に、代わりに出場した控えGKのカルロ・クディチーニも後半ロスタイムに相手DFと接触し負傷退場となってしまった。この時、すでに交代枠を3人使いきっていたため、テリーがわずかな時間ながら代役GKとしてゴールマウスを守ることになり、自らのポジションであったセンターバックはFWのドログバが入ることになった。
2006年末から2007年の2月にかけて、腰の手術のためにチームを離脱。モウリーニョ監督はその間パウロ・フェレイラやマイケル・エッシェンをセンターバックに起用していたが、リヴァプールFCとのアウェー戦では0-2で完敗するなど守備の安定感を欠き、計らずともテリーの偉大さを証明する結果となった。2月3日に行われたチャールトン・アスレティックとのアウェー戦で終了間際に交代でピッチに登場し、約一ヶ月ぶりの復帰を果たす。次週のミドルスブラFCではスターティングメンバーに復帰し、以前と変わらぬ安定したプレーを見せた。
2007-2008シーズンのチャンピオンズリーグ決勝戦VSマンチェスター・ユナイテッドは両チーム譲らずPK戦に突入した。マンチェスター・ユナイテッドで三番目のキッカーを務めたクリスティアーノ・ロナウドのキックをGKペトル・ツェフが止め、決めれば優勝という状況で5番目のキッカーであったテリーに順番が回ってくる。しかし降りしきる雨によってぬかるんだピッチに足をとられたテリーはボールをポストに当ててしまい失敗。その後チェルシーFCで7番目のキッカーを務めたニコラ・アネルカのキックをエドウィン・ファン・デル・サールが止め、結果マンチェスター・ユナイテッドに敗北した。テリーは涙を流し悲嘆にくれ、その後チームのホームページ内で謝罪をした。しかし「彼が居なければ我々は決勝に勝ち進むことは出来なかっただろう」とランパードが語るように擁護の声も多かった。
それを裏付けるように、このシーズンで自身二度目となるUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ディフェンダーに選出された。
代表初出場は、2003年6月のセルビア・モンテネグロとの親善試合。
EURO2004にも代表入りし、出場停止中だったリオ・ファーディナンドに代わり3試合に出場した。
2006 FIFAワールドカップではソル・キャンベルに代わりレギュラーに定着、リオ・ファーディナンドとともにイングランドの堅守を支えた。
この後、デビッド・ベッカムに代わってイングランド代表のキャプテンを務めていたが、2010年2月、不倫疑惑が浮上し、ファビオ・カペッロは、テリーを主将から解任した。
2010 FIFAワールドカップのグループリーグ第3節におけるスロベニア戦において、後半67分に、相手FWのミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチのシュートをスライディングでブロックした直後、なおもゴールに迫るズラトコ・デディッチのシュートに対し、頭部からダイブしてのブロックを試みる。結果的に自身のブロックは失敗したものの失点を免れ、この勇敢なプレーは高い評価を受けた。
2011年3月にカペッロにより再び主将に任命された。
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