リヴァプールのユースチームで育ち、1996-1997シーズンにトップデビューを果たすと、翌シーズンより監督に就任したジェラール・ウリエに重用され、出場機会を増やして成長。1999年4月28日のハンガリー戦で代表デビューを果たし、守備の要として活躍をみせる。2000-2001シーズンにはUEFAカップ、FAカップ、リーグカップの三冠(トレブル)を達成した。
2002年の日韓W杯には出場ならず、その後も故障で戦線離脱するなど苦しい時期も続いたが、2004-2005シーズン、それまでは両サイドバックでの出場が多かったがラファエル・ベニテスにより本格的にセンターバックにコンバートされると、リーグ戦全試合に出場を果たし、UEFAチャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献した。
イングランド代表としては、必ず招集はされるものの、その実力を発揮させる機会が与えられることは少なかった。ドイツW杯では右サイドバックとして4試合に出場したがW杯の後、イングランド代表監督がスティーブ・マクラーレンに替わったことで代表としての出場機会は激減。ジョン・テリーやリオ・ファーディナンドが不調や怪我で出られない時でもスタメンでの出場はままならず、悩んだ末にクラブチームでのプレーに全力を注ぐべく2007年8月、イングランド代表を引退した。皮肉にもその3ヶ月後、イングランドはテリーとファーディナンドを欠いた状態で、急造ディフェンス陣を突かれクロアチアにホームで惨敗し、UEFA欧州選手権2008を予選落ちで終える事になる。キャラガーの代表引退は結果的にイングランド全体に大きく影響することになった。
なお、ファビオ・カペッロ監督率いる2010年南アフリカW杯においては、ベテランの力を強く信じるカペッロ監督の熱意に絆され再びイングランド代表に復帰している。
リヴァプールFCのキャプテンであるスティーヴン・ジェラードと並ぶクラブの象徴的な存在。チームの副キャプテンも務めるもう一人のリーダーであり、リバプールにおける守備の要としてディフェンスラインを統率する。闘志を前面に押し出したプレーでチームを引っ張る熱いハートの持ち主でもある。スピードはないものの対人プレーに滅法強く、「ザ・ロック」(岩)の異名をとる。2006年12月に相次ぐアクシデントでリヴァプールのセントラルミッドフィールダーが払底した際にはジェラードと組んで中盤を務めた。サポーターから最も愛されている選手。
フェアプレー精神が強く、汚いプレーを見たときはよく声を荒らげて怒る。情に厚い性格でもあり、ジェラードのチーム残留にも影響を与えた。
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