様々なポジションをこなせる器用なプレーヤーで、攻撃にアクセントをつけるファンタジスタ性もある。ドリブルと縦パスのセンスは随一である。現地では、イングランド人で数少ない違いを作れるプレーヤーとも言われており、テクニックは本当に素晴らしく、ジェラードも目を見張る。ジェラード曰く、ゴルフボールをサッカーボールと全く同じように扱える。モウリーニョ下のチェルシーではWG(ウイング)としても活躍しました。
ウェストハムの下部組織で育ち、1999年、わずか17歳でトップデビューを果たす。 ウェストハムではキャプテンを努めるほどに成長するが、02/03シーズンに自身の怪我もありチームは降格してしまう。これを機に2003年夏、CL出場と代表定着のため、£660万でチェルシーに移籍。アブラモヴィッチ体制初年度の注目選手の一人として背番号10を背負う。しかし、ベロンら他の新加入選手の存在もあり、ラニエリの下、不遇のシーズンになる。しかしベロンからは、その技術の高さを絶賛された。
翌2004年/2005年シーズン、モウリーニョの監督就任に伴い、新たな仕事場を得る。 シーズン当初はサブとして起用されていたが、左ウイングのロッベンの負傷で、モウリーニョはダミアン・ダフを左ウイングへ回して、コールを右ウイングで起用する。これが見事に当たり、持ち前のドリブルを生かしたプレーが増えた。モウリーニョの指導で守備も改善し、フィジカル面でも成長を見せた。近年では、トップ下でプレイすることも多い。
2010年6月に契約満了によりチェルシーを退団。7月にリヴァプールに移籍。契約は4年、背番号はチェルシー在籍時と同じ10番。
2001年5月25日メキシコ戦にてフル代表デビューを果たす。 2002年FIFAワールドカップのメンバーに選ばれたが途中出場のたった一度だけの出場に終わった。
ユーロ2004のメンバーだったが大会では出場機会に恵まれなかった。
これまではスタメンに定着できなかったが、モウリーニョ監督の下で発展を遂げると、イングランド代表の課題であった左MFのポジションでも一気に頭角をあらわし2006 FIFAワールドカップ予選でもすばらしい活躍を見せた。本戦においても、対スウェーデン戦でゴール前のこぼれ球から胸トラップし、ドライブ回転のかかった驚異的なロングシュートを記録して観客の度肝を抜いた。
2010年FIFAワールドカップは、カペッロ監督の下で代表入りした。背番号は11。
テレビゲームが好きで、PS2ゲームのプロエボリューションサッカー(ウイニングイレブン)が得意。ジョン・テリーが催したチーム内の大会で優勝し自前のトロフィーを獲得したという。
ジョゼ・モウリーニョの手により才能をさらに開花させたが、モウリーニョの指導で最も大きかったのは、「食事改善」であったと語っている。
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