バレンシアCFのカンテラ出身の若手。
レンタル先のヘタフェCFでキケ・サンチェス・フローレス監督の目に留まり、様々なポジションで起用された。
レンタル先がヘタフェCFに決まり、マドリッドへ移動中の時に交通事故に巻き込まれた。
手術は成功したが、いっときは昏睡状態にまで陥ったという。もう、サッカー界には戻れないかもしれない、とまでいわれた。
だが、2004-2005シーズンも半分を過ぎた頃、彼は見事にカムバックを果たした。
辛いリハビリを得て、レアル・マドリーとのダービーではゴールまで決めたのだった。
2006-2007シーズンは、キケ・フローレスがバレンシアの監督に就任すると共にバレンシアへ復帰した。
ロベルト・アジャラの怪我もあり、CBでの起用に見事応えた。
アジャラ復帰後もスペイン代表のカルロス・マルチェナを差し置いてレギュラーポジションを勝ち取り、飛躍の年となった。
その後もCBのレギュラーとして出場を重ねチームの柱として成長した。
2008-2009シーズンにはチーム内の投票により第二キャプテンに選ばれた。
同シーズンは33試合に出場して2得点したが、2009年2月から3月にかけての2週間でオウンゴールを2回記録した。
2009年6月、移籍金1500万ユーロの5年契約でレアル・マドリードに移籍した。
4バックのセンターを務める機会が多いが、ヘタフェCF在籍時には3バックの一角や右サイドバック、ボランチなど多くのポジションでプレーした。ディフェンスブロックならどこでも任せることができるユーティリティーさが彼の最大の特徴であり、1対1の対応に優れ、速さと高さ、戦術理解を兼ね揃えたスペインのホープであるが、メンタル面やリーダーシップには課題が残る。
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