持ち前の反射神経で近距離からのシュートに滅法強く、またGKとしては平均的な身長ながら、ハイボール処理も巧みにこなす。ニューカッスルの脆弱なディフェンスラインを水際で支えた最後の砦である。味方の迂闊な守備からシュートを撃たれたり、たまに味方DFのとんでもないクリアボールやバックパスが彼の元に飛んできても冷静に処理するその安定感は際立っている。大量失点を喫した試合でも、専門誌やスポーツ新聞での記者採点が一人だけ高いこともしばしばである。
なお、抜群の反射神経で近距離からのシュートを防ぐシーンは、ニューカッスル時代のスーパーセーブ集に収められている。ポゼッションで不利に立たされた時にオフサイドラインの調節が機能しない状況が彼のチームには良くあったが、そのような状況によりDFにシュートが当りコースが変わった難しいボールでも冷静にセービングする。
地元クラブでプレーしていた1992年、セルティックFCのスカウトに注目され、そのままセルティック・ユースに入団。セルティックではトップチームに上がる事は無く1994年にブラックバーン・ローヴァーズFCに移籍した。しかしブラックバーン在籍時代は僅か3試合の出場に留まり、スウィンドン・タウンFCやサンダーランドAFCにレンタルされてのプレーを余儀なくされるものの、当時ディビジョン1(2部相当)に所属していたサンダーランドでのプレーは特筆に値するものであった。出場した17試合中16試合で完封勝利を挙げる記録的なパフォーマンスを残したギヴンは、サンダーランドAFC所属時代の1996年3月27日、ダブリンで行われた対ロシア戦で代表デビューも飾り、期待の若手として高評価を受け始める。
1997-1998シーズンからは、前年までブラックバーンで指揮を執っていたケニー・ダルグリッシュに誘われニューカッスル・ユナイテッドFCへ完全移籍を果たす(移籍金は推定150万ユーロ)。ニューカッスル移籍後はすぐに正GKのポジションを奪取。稚拙で不安定と言われるニューカッスルのディフェンスラインを高いパフォーマンスで統率し続け、アイルランド代表においても獅子奮迅の活躍を披露した。特に2002
FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではポルトガル代表・オランダ代表相手にスーパーセーブを連発し、アイルランド代表を2大会ぶりに本大会へ導く原動力となる。本大会においてもギヴンの終始安定したプレーが光り、決勝トーナメント1回戦でスペインにPK戦で屈したもののベスト16に食い込む大健闘を見せた。
その後も順位表の上位と中位を彷徨うニューカッスルに留まり安定したプレーを披露。2006 FIFAワールドカップの出場権は逃したものの、2005-2006シーズンにはプレミア最優秀ゴールキーパーを受賞するなど活躍を続けていたが、2006年9月14日の対ウェストハム・ユナイテッド戦で相手FWマーロン・ヘアウッドと接触。治療に当たったドクターに「自動車事故に遭ったようなものだ」と言わしめるほどのケガを負ってしまうが、同年11月18日、アウェーでのアーセナル戦で復帰。好セーブを連発して試合を1-1のドローに持ち込んだ。
2008-2009シーズン冬の移籍期間にマンチェスター・シティFCに移籍した。移籍金は未公表である。
2009年10月14日、モンテネグロ戦に出場してアイルランド代表通算100試合出場を達成した。同じ試合でケビン・キルバーンも100試合出場を達成した。
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