空中戦に抜群の強さを誇るセンターバック。イングランド代表でも守備の要としてかつて君臨しており、2002年ワールドカップで見せたリオ・ファーディナンドとのコンビは大会随一の堅守を誇った。また、フリーキックを武器とするイングランド代表において、キャンベルは重要な得点源でもある。イングランド代表チームのバックラインを支えたディフェンダーで、一時期は代表でキャプテンを務めた事もある。。両親はジャマイカからの移民である。
キャンベルは1992-93シーズンにトッテナム・ホットスパーでプレミアシップデビュー、その年はほとんど出場機会に恵まれなかったが、徐々にその才能を開花させていく。1996年には代表デビュー、待望の若手センターバックとして期待され、1998年のフランス大会では目覚しい活躍を見せて世界的に注目されるようになる。
2001年に8年間在籍したスパーズを去り、因縁のライバルであるアーセナルに移籍。この移籍は元々両チームが激しいライバル関係にあることに加え、契約満了後のフリー移籍だったこともあり、ファンを激怒させることになる。スパーズファンはキャンベルを「ユダ」と呼び、アーセナルとの試合で物を投げ込む、チームバスを取り囲むなど、怒りを露わにした。キャンベルの元に脅迫文書が送られたこともあったという。
トニー・アダムズ引退後の2002-03シーズンには完全にアーセナルの守備の要として活躍。2003-04シーズンには無敗優勝を達成したチームに大きく貢献した。いまやプレミアシップでも有数のセンターバックであることに疑いの余地は無いだろう。それだけに怪我での欠場やラフプレーによるサスペンションの多さが気になるところである。
2004年以降は故障にも悩まされ、2006年のFIFAワールドカップでは控えに回った。2006年夏、アーセナルを退団し、ポーツマスに移籍。ポーツマスではレギュラーのセンターバックとして活躍し、2007-2008シーズンにはFAカップ優勝を果たした。
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