ゴール前での得点感覚に優れ、短い出場時間で確実な結果を残す、世界最高の「スーパーサブ」のひとり。そのプレイスタイルと実年齢よりも若く見られる顔貌から、Baby-Faced Assassin(童顔の殺し屋)の異名を取った。マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督からは、長年に渡って高い信頼を得ている。
フォワードとしてだけでなく中盤のサイドプレイヤーとしても高い能力を発揮する。
1999年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝、対バイエルン・ミュンヘン戦におけるロスタイムでの劇的な決勝ゴールは、世界中のサッカーファンに強烈なインパクトを与えた(カンプ・ノウの奇跡)。
2002年頃は当時チームメイトだったデビッド・ベッカムの代わりに右サイドハーフでプレイし高評価を得た。
2003年以降は相次ぐ故障に悩まされ、ほぼ3年間満足に実戦に出られない日々を送っていたが、2006-2007シーズンに復帰。2006年8月23日のプレミアリーグ、対チャールトン・アスレティック戦で終了間際にゴールを決めて復活を果たした。また9月2日に行なわれたEURO2008予選、対ハンガリー戦でも2ゴールを挙げる活躍を見せた。その後も10月1日のニューカッスル戦で2ゴール、2007年1月7日のFAカップ対アストン・ヴィラ戦では『カンプ・ノウの奇跡』を髣髴とさせるロスタイムでの逆転ゴールを決めてオールド・トラッフォードを歓喜の渦に巻き込み、完全復活を印象付けた。しかしその後右膝の怪我が再発し、手術を受けて懸命なリハビリに務めたものの満足な回復が見られず、ついに2007年8月28日、現役引退を表明した。
2008年から2010年までマンチェスター・ユナイテッドのリザーブチームの監督を務め、同年末より古巣であるモルデF.K.の監督に就任した。
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