超人的なスピードを武器に、DFを振り切ってゴールに迫る。オープンスペースへの飛び出しを最も得意としている。俊敏性にも優れ、DFよりも早くこぼれ球に反応し、難しい体勢からでもアクロバティックなゴールを決める。また、左右両足からの強烈なシュートも持っており、得点パターンは多彩。ゴール後に見せる体操選手のような連続宙返りは身体能力の高さを物語っている。
14歳の時、ナイジェリアのFC Ebedeiに加入。その後、16歳でイタリアのセリエCレッジャーナのトライアルに参加。2か月のトライアルを経て、Ebedeiのチームメイトスティーヴン・マキンワとともに入団。ユースチームで活躍し、これが、元イタリア代表ストライカーピエルルイジ・カジラギの目に留まり、彼の推薦もあって2001年からレッジャーナのトップチームに昇格する事になった。この年のビアレッジョ国際ユースで優勝するとアフリカ最優秀若手選手にも選出された。
2001年からはインテルへ移籍。初年度はユースチームで23得点を記録する。2002年12月にトップチームデビュー。アルバロ・レコバ、アドリアーノ、フリオ・リカルド・クルスら豪華なFW陣の一角を占める中、先発出場は少ないものの、セリエAで88試合に出場して28得点を記録。中でも2002-03シーズンのチャンピオンズリーグでは、セミファイナルで大会史上初のACミランとのミラノダービーとなった。その第2戦でルーズボールを背中で流し、圧倒的なスピードでパオロ・マルディーニを完全に振り切り得点を奪うという離れ業をやってのけた。2005年には2010年まで契約を延長。
しかし2006年にユヴェントスからズラタン・イブラヒモビッチ、チェルシーからエルナン・クレスポの加入が決定。出場機会の激減が予想されたため、移籍を志願。移籍市場ではバレンシアなどがオファーを出すなど注目を集めたが、2006-07シーズンよりイングランドのニューカッスル・ユナイテッドへ移籍。ニューカッスルでは3シーズンで88試合に出場し28ゴールを記録するも、2008-09シーズンにチームが降格。これに伴い、2009年7月、移籍金900万ポンドでドイツのVfLヴォルフスブルクに4年契約で移籍した。2010年7月、ロシア・プレミアリーグのFCルビン・カザンに3年契約で移籍した。
ナイジェリア代表においては、アフリカネイションズカップ2006での3位入賞に貢献するなど中心選手となっている。2007年11月17日の親善試合・オーストラリア戦では初めてキャプテンを任された。2009年11月14日のワールドカップ予選・ケニア戦では同点ゴール、決勝ゴールと2得点を挙げる活躍で、ナイジェリアのワールドカップ出場決定に貢献した。
2011年1月31日、プレミアリーグのバーミンガム・シティFCにレンタル移籍。2月19日のFAカップ5回戦で移籍後初ゴールを決めた。2月27日に行われたリーグカップ決勝・アーセナル戦で途中出場し、1対1で迎えた後半44分に決勝ゴールを挙げ48シーズンぶり2度目の優勝に貢献した。
インテルでは先輩FWであり、同じ英語話者であるクリスティアン・ヴィエリにかわいがられていた。
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