爆発的なスピードでディフェンスを振り切り両足から強烈なシュートを放つストライカー。高速シュートは敵に阻まれながらでもボールを打ち抜く。その豪快なプレイスタイルからフランスの怪物と称されることもある。しかし、好不調の波がありゴール前でシュートの繊細さに欠けると言われる。
2001-02シーズンに22ゴールを挙げ初のリーグ・アン得点王に輝く。翌2002-03シーズンは得点王を逃すものの、2003-04シーズンに26ゴールで得点王に返り咲き、チームのUEFAカップ出場権獲得に貢献した。
2004-05シーズンはかねてから移籍が噂されていたプレミアリーグのリヴァプールに移籍した。移籍直後はプレミアリーグ独特のスピーディかつアグレッシヴなゲーム展開、そしてラファエル・ベニテス監督の唱えるサッカーにもなかなか馴染めず、スタメンから遠ざかる日々が続いた。シーズン途中の試合中に「もしピッチ上で適切な応急処置が行われていなかったら再起不能だった」とまで言われた程の酷い怪我(左足腓骨・脛骨の同時骨折)を負うなど苦難続きだったが、怪我の癒えた2005-06シーズンからは徐々に本来の実力を発揮しつつあった。
しかし、2006年W杯ドイツ大会開幕を直前に控えた中国との親善試合で再び骨折し、本大会への出場は出来なかった。
2006-2007シーズンからはマルセイユにレンタル移籍をすることが決定。2007年にマルセイユと5年契約を結んだ。移籍金は600万ポンド。
2008-2009シーズン夏季移籍期間にサンダーランドへのレンタル移籍が決定した。サンダーランドでは35試合に出場し10得点を挙げる活躍をみせた。
2009年6月、移籍金800万ユーロ、4年契約でパナシナイコスへと移籍した。初年度からリーグ戦23得点を挙げて得点王を獲得。チームの2冠達成に大きく貢献した。この活躍により一時は遠ざかっていたフランス代表にも復帰し、2010
FIFAワールドカップのメンバーにも選出された。
2011年冬、人種差別を受けていることを理由に、今シーズン限りでパナシナイコスを退団する意向を明らかにした。
2011年7月、ラツィオに移籍。 |