度々試合から消えることもあるが、押し上げを助けるポストプレーは世界最高水準を保つ。大柄ながら機動力に優れ、左右に流れて起点となり、そこからチャンスメーカーとしても機能する。また、ジャンプ力も高い。更には正確なミドルシュートを打つことができるが、右利きであるにもかかわらず左足でのシュートにこだわりを持っているように見える。足元の技術も高く、スルーパスで決定機を演出することもしばしばだが、奇想天外なプレーと解釈されることもある。
1999年にディナモ・スタヴロポリでプロデビュー。翌2000年にはFCロトール・ヴォルゴグラードへと移籍し、3シーズンを同チームで送る。その後2003年にFCスパルタク・モスクワへと移籍。2006年・2007年と2年連続でロシアプレミアリーグの得点王に輝いた。
決定力にムラがあったものの、その決定力を開花させた後述のEURO2008後は注目され始めた。2008年8月30日にディミタール・ベルバトフの後釜を探していたトッテナム・ホットスパーFCに移籍することが公式サイトで発表された。移籍金は1400万ユーロ。移籍後は初の国外移籍、クラブ自体の不振のせいかEURO2008の輝きはみせられずにいたが、ハリー・レドナップが監督に就任しての一戦目、ボルトン戦では先制ゴールを挙げ、チームのシーズン初勝利に貢献した。トッテナムでの1年目は、カップ戦では8試合・9得点と活躍したものの、リーグ戦では28試合で5得点と完全な尻すぼみに終わった。2009-2010シーズンはじめには、放出が取り沙汰され、ASローマ、ヘルタ・ベルリンへの移籍が噂された。プレシーズンでアピールし、残留している。一時は、ジャーメイン・デフォー、ピーター・クラウチ、エイドゥル・グジョンセンに続く4番目のFWであったが、2月のウィガン戦で2ゴールをあげたのを皮切りに一気にクラウチを押しのけてレギュラーに復帰しゴールを上げ続けている。以前からメンタルの弱さを指摘しパヴリュチェンコを冷遇してきたレドナップも「まるでロケットのようだ」と絶賛している。また、2010-2011シーズンの重要な試合となったUEFAチャンピオンズリーグ 2010-11のプレーオフ対BSCヤングボーイズ戦では、試合の大部分では消えていたのにもかかわらず、チームを救う見事なミドルシュートを決め、トッテナムのフロントにFWの獲得を見送らせた。
ロシア代表としては、U-21代表を経て、2003年にA代表デビューを飾った。2005年10月8日のルクセンブルク戦で代表初ゴールを挙げる。EURO2008では決定力は高くないがその長身を生かし前線で体を張り、隙あらばゴールを狙い、時には破壊力満点のミドルシュートを放つ活躍を見せた。最終的には2位タイの3ゴールを挙げ、ロシアのベスト4入りに貢献。自身も大会選定の優秀選手に選ばれた。
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