攻撃的なポジションにも関わらず守備も厭わない献身的なプレーが持ち味のウインガー。スピードを生かした突破と高い得点力も武器。左右両サイドをこなせる。利き足ではない右足でのボール捌きもうまい。サイドバックも経験している。
趣味は昼寝。
チェルシーの本拠地であるロンドンはブラックバーン育ちのダフにとって「さわがしいだけ」の街だったという。
ブラックバーン時代のダフの応援歌はビートルズの『All You Need Is Love』で、ほぼ原曲そのままに「All We Need Is
DUFF」というもの。
1996年にイングランド1部リーグのFAプレミアリーグのブラックバーン・ローヴァーズに入団。トップチームでのデビューは1996-1997シーズン終盤の1試合であった。翌シーズンはレギュラーとなり、リーグ戦26試合、カップ戦7試合に出場して5ゴールを記録。1998-1999シーズンは36試合に出場するが、ゴール数は1に留まった。
1999-2000シーズンはチームの1部降格(当時のイングランドリーグはプレミアリーグの下に1部リーグがあった)に伴い、プレミアリーグではなく1部リーグで39試合5ゴール、カップ戦は5試合2ゴールを記録するもチームの昇格は叶わず。2000-2001シーズンはリーグ戦32試合で1ゴール、カップ戦7試合2ゴールで、チームはプレミアリーグ復帰を果たす。
2001-2002シーズンは39試合で8ゴールを挙げ、デヴィッド・ダンとともにチームの攻撃の要として大活躍。シーズン終了後の2002年のワールドカップではアイルランド代表の中心選手として注目を浴びた。続く2002-2003シーズンは31試合で11得点という華々しい活躍を見せ、シーズン終了後には新オーナーに買収されて巨額の資金を得たチェルシーに引き抜かれることとなった。
チェルシーでもレギュラーとして左ウィングでプレー。ロッベンの加入後は右ウィングでプレーし、2003-2004シーズンは37試合で6得点。2004-2005シーズンは48試合で10得点を記録し、チームはプレミアリーグとリーグカップの2冠に輝いた。しかし、2005-2006シーズンは自身の故障に加えてジョー・コールの台頭で先発の機会を減らされることとなる(それでも39試合に出場し3得点を挙げている)。
チェルシーのシステム変更(ウイングに比重を置く3トップからセンターフォワード2人で組む2トップへ)の事情もあってか2006年7月、ニューカッスル・ユナイテッドへ移籍。
ニューカッスルでは故障やチェルシー時代とのシステムの違いから本来の実力を発揮出来ず、2006-2007シーズンは33試合(うちカップ戦が11試合)で1ゴール、翌シーズンも19試合で1ゴールと精彩を欠く時期が続いた。2008−2009シーズンは33試合で3ゴールと状態は上向きつつあったが、チームは降格となった。
2009年8月、ニューカッスルで1試合に出場し1得点を挙げた後、フラムへ3年契約で移籍した。チェルシー以来となるロンドンのクラブ復帰となった。フラム移籍後は完全に復調し、2010年2月22日現在でプレミアリーグ25試合出場で6ゴール、カップ戦6試合で2ゴールを挙げている。8得点(ニューカッスルでの得点を入れれば9得点)はエースストライカーであるボビー・ザモラの13得点に次ぐ数字である。同シーズンを32試合6得点を記録した。
|