左足での思い切りの良いシュートと、 その体勢に持ち込む一連の動作に定評がある。中盤の左サイドでのプレーも可能で、 鋭いドリブルとクロスでチャンスを演出し、自らも得点を狙える。
ポーランドで生まれ、2歳の時にドイツ、ケルンへ一家で移住。ケルンの下部組織で育ち2003-04シーズンにトップチームにデビューを果たした。クラブは2部に降格したが10得点を挙げる活躍を見せてドイツ代表に招集された。2004年6月6日のハンガリー戦で代表デビューを果たし、UEFA欧州選手権2004に出場した。また、同年12月21日のタイとの親善試合で代表初ゴールを記録。
地元で開催された2006 FIFAワールドカップにおいても、同じポーランド系のミロスラフ・クローゼと2トップを組むと3得点を挙げ、期待の若手選手としてFIFAが選ぶ「ベストヤング・プレーヤー賞」を受賞した。
2006年からバイエルン・ミュンヘンへ移籍。しかし2007-08シーズンは、ルカ・トーニ、ミロスラフ・クローゼ、フランク・リベリーの加入により、出場機会が激減した。これに不満を持ったポドルスキは移籍を希望し、古巣であるケルンやASローマなどが獲得に動いた。2009年1月、ポドルスキーの希望通り、2009-10シーズンからケルンに復帰することが決定した。この移籍ではケルン市長や州知事までもが歓迎のコメントを寄せた。
UEFA欧州選手権2008でもドイツ代表メンバーに選出されると、グループリーグ初戦のポーランド戦でチームの全得点となる2ゴールを記録。しかし故郷のポーランドとの試合というだけあり「ポーランドには今でも親戚が住んでいるから、複雑な気持ちだ」と心境を述べた。
2010 FIFAワールドカップにも出場し、グループリーグ初戦のオーストラリア戦で先制ゴールを挙げ、2大会連続ゴールを記録した。
ケルンでは、彼の記事が掲載される新聞はよく売れ、ケルン周辺での彼の人気は「小皇帝」ミヒャエル・バラックと肩を並べるほどである。また、ケルン復帰が騒がれていた頃、ケルンのサポーター達がバイエルン・ミュンヘンの練習場に押しかけ、「ポルディーを返せ」と書かれた横断幕を掲げ、デモまがいの行動を起こしたという。
熱烈なサッカー愛好家としても知られるF1ドライバーのミハエル・シューマッハが、ポドルスキ獲得のためにケルンに875ユーロの資金援助をした。
時折気性が荒いところを見せることがあり、以前、ドイツの主将であるバラックにビンタを食らわしたことがある。
国籍はドイツであるが、ポーランド人であることを非常に誇りに思っている。今でも家族と話すときはポーランド語で話し、ポーランド代表と試合をする際は非常に複雑な気分になるという。同じポーランドから帰化したミロスラフ・クローゼは殆どポーランド人であることをアピールしないため、ドイツメディアから批判される事は少ない。
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