高麗大学校在籍中の2005年、FCソウルに加入、デビューシーズンは満場一致で新人王を獲得した。これはKリーグ史上初の快挙。同年のワールドユース及び2006 FIFAワールドカップアジア地区最終予選にも出場。W杯ドイツ大会本選の代表メンバーにも選出され、グループリーグ第3戦のスイス戦では先発で出場した。 2008年にリーグ・アンのASモナコに移籍。移籍金は200万ユーロで、背番号は10番となった。リーグ・アンデビュー戦となった9月13日のFCロリアン戦で初ゴールを記録。レギュラーとして定着し、2010-2011年度は12得点(内PK4)と背番号10番に恥じない働きをしたが所属チームのASモナコは降格が決まり、2012年までに韓国内で2年間の兵役に就かなくてはならないことが決まっている。
優勝すれば兵役免除が得られる2010年アジア競技大会にオーバーエイジ枠で参加した。降格圏にあったASモナコは代表選出に難色を示したが、直前に参加が認められた。しかし、韓国代表は準決勝のUAE戦で敗退し、念願の兵役免除はならなかった。
2011年に行われるアジアカップには参加が決まっていたが、右膝の負傷が酷いため辞退することとなった。
2011年8月、プレミアリーグのアーセナルFCに移籍。
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