足裏を使ったボール捌きはエレガントであり、中盤でのボールキープや、精度が高く機知に富んだ長短のパスで試合にアクセントが付けられる選手である。また、フィジカルや持久力の面においても優れたプレーヤーであることから、ファンタジスタとしての特性とアスリートとしての資質を併せ持つ現代的なミッドフィールダーでもある。モントリーヴォが2006年以降にセリエA屈指のプレーヤーと評価されるのは、フリーでスペースに走り込む動き、クサビのパスやスルーパスなどを使って攻撃を縦に加速させる戦術眼など、実戦面でのプレー内容が成長したことによる。チェーザレ・プランデッリ監督の指導により懸念されていた守備力も、質だけでなく量でも貢献できるようになった。
アタランタ下部組織出身のイタリア人選手。非凡なテクニックとエレガントなプレースタイルから、ジャンカルロ・アントニョーニやマヌエル・ルイ・コスタ等のファンタジスタと比較される。フィオレンティーナでは2010年よりキャプテンを務め、20歳から在籍する同クラブにおいてのバンディエラ候補である。各アンダー世代のイタリア代表にも招集されており中心選手の1人として活躍した。2007年10月に所属クラブでの活躍が認められフル代表に招集、このシーズンのセリエA最優秀若手賞(オスカル・デル・カルチョ)に選ばれている。
アタランタ所属時はトレクァルティスタの選手として育てられてきたが、フォワード的な資質に乏しいことや、後方からのオフザボールの動きや、ドリブルで攻め上がるという本来の持ち味を出せないため、フィオレンティーナに移籍後は徐々にポジションを下げる。こういった経歴や前述のようなプレースタイルから、アンドレア・ピルロの後継者と呼ぶ声もあった。しかし本人はピルロを手本としているとしながらも、スティーヴン・ジェラードやダニエレ・デ・ロッシといった、よりプレーエリアの広いオールマイティな選手を目指していると話す。イタリア代表監督のマルチェロ・リッピも彼はピルロの後継者ではなく、ややジェラードのようだと指摘している。フィオレンティーナの戦術変更がなされた2009年頃からは、守備のタスクが多い2センターハーフシステムのポジションで、本来の華やかなプレーだけではなく我慢強い守備を披露し、より多くの役割に適応している。
母親がドイツ人であることからドイツのパスポートも所有しており、完璧なドイツ語を話すことができる。2008年のキエーヴォ戦でのセットプレーの際には、相手選手が審判に抗議するなか元チームメイトのクズマノヴィッチがドイツ語で「すぐここに出してくれ」と叫んだの聞き、他の味方と相手選手の意表をつく早いリスタートで得点を演出した。母方の祖父母はドイツ北部に位置するキールに居住している。
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