1984年にフランスがUEFA欧州選手権で初優勝したときのメンバーであるドミニク・ロシュトーは、ジニャックに対して「彼はほとんどスペースを必要とせず、素早くシュートが打てる」と述べている。フランス代表のチームメイトであるティエリ・アンリは「彼は必要があればボールを持つ度にゴールを狙う、少し古い時代のストライカーを思い起こさせる。練習でも始終ゴールを強く望む、凄い奴だ」と語っている。
トゥールーズFCに移籍した2007-08シーズンは本来のセンターフォワードではなく右サイドハーフで起用されるなど、エリー・ボウ監督の評価が低く、わずか2得点に終わった。2008-09シーズンはアラン・カサノヴァ新監督の信頼を得て前半戦のみで12得点を挙げ、前年度のチーム最高得点であるヨハン・エルマンデルが記録した11得点を早くも超えた。2008年9月28日のヴァランシエンヌFC戦ではロスタイムに決勝点となる先制点を挙げた。2009年3月7日のFCジロンダン・ボルドー戦ではジニャックの得点などで3-0で快勝したが、ボルドーは次の試合から13戦連続勝利で優勝を決めた。得点ペースは最後まで衰えず、最終的には24得点でリーグ・アン得点王を獲得した。2位のカリム・ベンゼマらに7得点差をつける独走で、その得点のほとんどが右足のシュートによるものだった。
2009年夏にはオリンピック・リヨンから1500万ユーロのオファーを受けたが、クラブはこれを拒絶した。ビッグクラブへの移籍を望んでいたジニャックは抗議のために練習をボイコットした。2009-10シーズンは背番号を10に変更した。8月15日のASサンテティエンヌ戦でシーズン初得点を決め、5日後のUEFAヨーロッパリーグ予備予選トラブゾンスポル戦ファーストレグでは2得点して勝ちぬけに貢献した。
2010年5月、ダビド・ビジャの後釜としてバレンシアCFへの移籍が噂されたが、8月にオリンピック・マルセイユに移籍した。
フランスのアンダー代表経験はない。母方の祖母はアルジェリア人であり、アルジェリア代表でプレーする資格も持っていたが、フランス代表を選択。2009年3月、フランス代表のレイモン・ドメネク監督から南アフリカW杯予選・リトアニア戦に招集された。初出場となったホームでのリトアニア戦では途中出場し、決勝点となるフランク・リベリーのゴールをアシストしている。8月12日の南アフリカW杯予選・フェロー諸島戦ではワントップ気味のポジションで先発出場し、42分に代表初ゴールとなる決勝点を決めた。この試合では再三チャンスを演出し、セルビアとの首位争いにとどまった。
2010年5月、2010 FIFAワールドカップに臨むフランス代表メンバー23人に選出された。
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