2歳でアヤックスのユースに入ったベルカンプは、ヨハン・クライフに才能を見出され1986年、17歳でトップチームにデビュー。アヤックスで1990年から3年連続得点王に輝き、リーグ優勝、UEFAカップ優勝などに貢献。239試合に出場し、122ゴールを挙げた。
その後、インテルに移籍したが能力を発揮できず、1995年にアーセナルに移籍しチームの中心として活躍。97〜98シーズン、01〜02シーズンの二冠等に貢献。また、2003-2004シーズンには無敗でプレミアリーグを制するなど、一時代を築いた。1998年フランスワールドカップのアルゼンチン代表戦や01年プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッド戦など伝説的なゴールを数多く挙げ、パトリック・クライファートが2003年に更新するまでオランダ代表の最多得点記録も保持していた。
FIFAワールドカップには、94年アメリカ大会、1998年フランス大会の計12試合に出場し6得点を記録、アメリカ大会ベスト8、フランス大会ベスト4に大きく貢献した。前述の1998年フランスワールドカップ準々決勝アルゼンチン戦の見事なトラップからのゴールは、当時オランダの新聞によって、「まるでレンブラントの筆さばきのようだ」と同国の歴史的画家のタッチに例えて賞賛された。
05-06シーズン終了をもって引退を表明した。自身がプロデビューを果たしたチームであるアヤックス・アムステルダムとアーセナルの対戦で引退試合が行われ、オランダの往年の名選手であるヨハン・クライフ、元オランダ代表監督マルコ・ファン・バステン、元FCバルセロナ監督フランク・ライカールト、そしてジョバンニ・ファン・ブロンクホルストやパトリック・ヴィエラ、ティエリ・アンリ、デビッド・シーマン、エマニュエル・プティ、エドガー・ダーヴィッツなどが出場し、数多くのサッカー関係者がこの日のために駆けつけた。ベルカンプ本人も出場し、惜しくもこの試合ではゴールを決めることはできなかったが、随所で彼らしいイマジネーション溢れるプレイを魅せ、引退の花道を飾った。また、クライフとファン・バステンは当初スタンドから観戦していたが、後半から当時のアヤックスのユニフォーム姿で実際にピッチに立ち、ベルカンプとプレイしている。特にこの時のファン・バステンは現役時代さながらのプレイを披露し観客を大いに沸かせた。なお、この試合はアーセナルの新スタジアムのエミレーツ・スタジアムのこけら落としとして行われた。
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