90年代から2000年代を代表するゴールスコアラーの1人。
ブラジル代表の一員として4度のFIFAワールドカップ(1994年アメリカ大会(ピッチには立たず)、1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会)に出場。MVPに選ばれたフランス大会では準優勝、得点王になった日韓大会では優勝に大きく貢献した。W杯通算15得点は史上最多記録であり、ブラジル代表通算62得点は77得点のペレ、66得点のジーコに次ぐ第3位。
また、若くしてヨーロッパに渡り、FCバルセロナ、インテル・ミラノ、レアル・マドリード、ACミランといったビッグクラブでプレー。それぞれのクラブでタイトルを獲得したほか、個人としてもFIFA最優秀選手賞を3度、バロンドールを2度受賞するなど、大きな成功を収めた。
最盛期には世界最速の名を欲しいままにしていた。信じられない瞬発力と相手ディフェンダーを何人もなぎ倒すフィジカルでフィールドをドリブル突破し、両足から放たれる恐ろしい程に正確なシュートでゴールを決めていた。単独での得点能力が素晴らしく高く、ハーフラインからドリブル突破し、ディフェンダーとゴールキーパーまでも抜き去り得点するケースがよく見られた。
シュートの蹴り方が独特で、膝下にボールを置きシュートをするためモーションが少なくゴールキーパーが気づいたときにはゴールにボールが吸い込まれていった。またボールタッチの正確さが素晴らしく、加速時でもぶれることなく相手ディフェンダーを高いテクニックで翻弄していた。
FCバルセロナに所属していた当時、「攻撃の戦術が無い」と批判されたボビー・ロブソン監督が「私の戦術はロナウドだ」と言い返したのは有名な逸話である。当時のロナウドは相手から「前を向いてボールを持ったら反則しても止められない」と言われており圧倒的なフィジカルと卓越したテクニックで単独で敵陣を突破しゴールを決めていた。
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