U-21の頃から着々と実力をつけ、UEFA U-21欧州選手権スイス大会では準優勝している。所属クラブでは右WGを担当。敵のDFを置き去りにする抜群のスピードを発揮し、リヨンのリーグ7連覇に多大に貢献。
代表には48試合に出場し、10ゴール。FIFAコンフェデレーションズカップ2003の対日本戦では、決勝点を挙げている。
2006年のドイツW杯では骨折で代表を外れたジブリル・シセに代わって急遽招集されたラッキーマンである。ただ、準備が間に合わず私服のままドイツ入りをした。代表招集は2005年9月以来であった。ジネディーヌ・ジダン引退後は背番号10を引き継ぎ、2008年にはドイツW杯決勝のリベンジマッチとなったEURO2008予選の対イタリア戦で2ゴールを挙げ、勝利の立役者となった。
2009年1月14日の練習中にアキレス腱を断裂し、残りのシーズンを棒にふった。
2010年7月2日、契約満了に伴い、11年間在籍したリヨンを去り、パナシナイコスへ移籍した。しかし、パナシナイコスでは度重なる規律違反が目立ち、2011年7月2日に退団した。ゴブ自身はプレミアリーグ挑戦も考えていたが、3日後の7月5日に母国エヴィアン・トノン・ガイヤールFCへと移籍した。
|