恵まれた体格で空中戦に強く、堅実なポストプレーで前線の基点となるセンターフォワード。またポストから俊敏なターンで放つ高精度のシュートも武器。
2003-04シーズンに当時セリエBのパレルモに移籍すると才能が開花、45試合で30得点を挙げセリエA昇格に導く。翌年も20得点を挙げ同クラブの残留に貢献している。2005年にフィオレンティーナに移籍してからはエースストライカーとしてクラブの躍進の原動力となる。同時にアルベルト・ジラルディーノと並んでイタリア代表の看板選手となった。
2005-06シーズンは31得点でセリエAの得点王を獲得。30得点以上での得点王獲得は、セリエAでは47年振りの事である。
2005-06シーズンの活躍によりヨーロッパ各国のクラブからオファーがあったが、トーニ自身は八百長問題もあってかクラブのセリエA残留を目標にして当分移籍する気はないと発言していた。
2007-08シーズンからドイツブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンでプレーすることになった。移籍金は1100万ユーロ(約18億円)。移籍1年目からブンデスリーガ得点王となる24得点を挙げる活躍を見せ、この年のバイエルン・ミュンヘンのリーグ優勝に大きく貢献した。
2009-2010シーズン途中、ファン・ハール監督と関係をこじらせ、出場機会が減少していたため、ASローマにレンタル移籍。移籍後最初の公式戦となった1月6日のカリアリ戦でローマでのデビュー。
2009-2010シーズン終了後、バイエルン・ミュンヘンとの契約を解除。ジェノアCFCへ移籍。
2010-2011シーズン途中、ジェノアCFCとの契約を解除。ユヴェントスへ移籍。
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