ゲームメイク能力に秀でた視野の広いボランチ。体格を活かした守備能力も備える。少し下がり目の守備的なボランチとして中盤の底に構え、そこから正確なトラップと落ち着いたボール裁きでセンスのあるゲームメイクを見せる。ミドルシュートも備えており、日本女子サッカー界を代表するセンターハーフと言える。澤穂希との中盤でのコンビネーションを抜群である。
本職はボランチだが、稀にチーム事情によりゴールキーパーを務める場合もあり、一応普段からGKの練習も行っているという。2006年の全日本女子選手権では準決勝・対浦和レッドダイヤモンズ・レディース戦においてPK戦まで試合がもつれ込んだ際に急遽GKを務め、3連続セーブの好守を見せ同試合の勝利に貢献した。
堺市立五箇荘東小学校時代に下野池少年サッカースクールでサッカーを始める。サウスフリーウィンドFCを経て、スペランツァF.C.高槻の下部組織であったラガッツァFC高槻スペランツァに入団。2001年9月には清水ナショナルトレーニングセンター(J-Step)で行われたU-16日本女子ユース選抜候補に招集され、トレーニングキャンプに参加した。
翌2003年にはラガッツァ所属のままトップチームのスペランツァにも登録され、5月11日に行われたL・リーグ開幕戦 (対戦相手: 田崎ペルーレ)に先発出場。第2節の伊賀FCくノ一戦で初ゴールをあげるなど9試合に出場した。また同年度のU-18大阪府選抜に選出されて全日本女子ユース (U-18)サッカー選手権大会に出場した (決勝戦で静岡県選抜に破れ、準優勝の成績で同大会を終えた)。2004年には7月11日の宝塚バニーズレディースサッカークラブ戦でハットトリックを記録した。同年にはU-19代表に選出されて2005年にラガッツァFC高槻の選手およびスタッフがスペランツァから独立し、FC VITORIAを設立した際、阪口もそれに追随する形でスペランツァを離れた。
2005年1月にはU-19日本女子代表候補トレーニングキャンプに招集され、その後はU-18日本女子代表チームの一員として試合に出場。2006年1月には、なでしこジャパン候補トレーニングキャンプメンバーに初招集され、またなでしこリーグ・TASAKIペルーレFCに入団。リーグ戦では加入初年度からレギュラーとして試合に出場した。またなでしこスーパーカップ
(対戦相手: 日テレ・ベレーザ) でも後半途中から出場機会を得た。
2006年、AFC女子アジアカップに出場する日本代表メンバーに選出され、5月19日のベトナム戦で、日本代表後半から出場し2得点を挙げた。この試合は代表デビュー戦でもあった。
2008年の北京オリンピックではボランチとして出場し、澤穂希とともに中盤の一角を担った。この大会ではグループリーグ・決勝トーナメントの全試合に先発出場し、日本はベスト4の成績で全日程を終えた。
この年限りで所属クラブのTASAKIペルーレが休部。阪口は2009年、アメリカ合衆国・USL WリーグのFCインディアナへ移籍した。また同年、サッカーアスリートマネージメントを主に手掛けるソル・スポーツマネージメントと契約した。
Wリーグの開幕戦では1得点1アシストとチームの勝利に貢献したが、練習中に左膝の前十字靭帯を断裂してしまい全2試合の出場にとどまった。2010年、アルビレックス新潟レディースの選手として日本復帰することとなった。
2011年ドイツワールドカップで、日本サッカー界史上初の優勝を果たす。
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