2005年1月、まだ12歳だったネイマールはレアル・マドリードとの契約を交わす予定だったが、締結には至らなかった。2008年2月10日、サントスFCとプロ契約を結び、違約金は5000万ユーロに設定された。
13歳の時にロビーニョの年末チャリティマッチに参加した。試合はテレビ中継され、一躍有名になった。その後幾度となくサッカー番組などに出演した。以後、サポーターからも一軍でのデビューを期待されるようになった。
デビュー戦となったサンパウロ州選手権のオエステFC戦では、得意の高速ドリブルやペダラーダを連発し、負けていた試合を逆転勝利に導いた。翌節のモジ・ミリンEC戦でプロ初ゴールを決め、試合観戦していたペレに「彼はうまくいけば私を超える潜在能力を持っている」といわしめた。
2011年のコパ・リベルタドーレス決勝戦の対ペニャロール戦では、アウェーの第1戦を0-0の引き分けで終え、ホームでの第2戦では47分に値千金の先制弾を決め、最終的に2-1でサントスが1963年大会以来、3度目のコパ・リベルタドーレス制覇を達成した。なおネイマール自身はこの大会で計6ゴールを記録しており、優勝の原動力となった。
2010 FIFAワールドカップ後のブラジルの最初の試合となった2010年8月10日のアメリカ戦でブラジル代表に初めて招集された。ネイマールはこの試合で代表デビューを果たし、先制点となる代表初ゴールを挙げた。
2011年1月に開催された南米ユース選手権では得点王となる9得点を挙げる活躍でブラジルの優勝に貢献した。
2011年3月27日のスコットランドとの親善試合では初の1試合2得点を記録した。この試合では2得点目を決めた際に、ネイマールに対して観客席からバナナが投げつけられた。バナナは黒人差別を示唆する物であり、スコットランドサポーターによる人種差別がなされたのではないかと問題になった。後にバナナを投げつけたのはドイツ人観光客だと判明し、人種差別的意図は無かったと主張したことから事態は沈静化した。
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