2011ワールドカップ決勝の舞台で一番最初のPKキッカーを任される。キーパーの動きを見て落ち着いて決めたのが印象的。チームのフリーキッカーで抜群の安定感を誇る。
小学校1年のとき、父が作ったチームであるフッチボールSurfでサッカーを始める。のち読売メニーナ( → 日テレ・メニーナ)に所属し、1999年にはNTVベレーザ(
→ 日テレ・ベレーザ)への昇格を果たすが、自宅から練習場までの所要時間などが負担となり、高校2年生の時に退団。その後、高校の部活動で男子部員に混じって練習していたところ、元女子日本代表の本田美登里の誘いを受け、2001年に岡山湯郷Belleの発足に参加。2008年までチームの主力選手として活躍した。
2003年には日本代表に招集され、同年の2003 FIFA女子ワールドカップに出場。リーグでも敢闘賞を獲得した。翌2004年のU-19アジア女子選手権では主将を務め、また同年のL・リーグ(なでしこリーグ)では17得点を挙げて2部リーグ得点女王と最優秀選手に輝き、翌シーズンの1部昇格の原動力となった。
2004年に大橋浩司が代表監督に就任すると当初はサブとして、のちにレギュラーとして試合に出場。最終的には大橋監督在任中に全試合に出場した。なかでも2007年9月11日の第5回女子ワールドカップ・イングランド戦(中華人民共和国上海虹口足球場)では直接フリーキックにより2得点のうち、試合終了直前であげたゴールは男子選手を髣髴とさせるものとして、大きな話題となった。
同年のリーグ表彰式ではベストイレブンと特別表彰「サポーターが選ぶMVP」を受賞となった。
2009年に発足した米国WPSのロサンゼルス・ソルに移籍。開幕戦でリーグ創設初得点をアシスト。シーズン通算でもリーグトップタイの6アシストを記録したほか、チーム内で唯一全試合フルタイム出場を果たすなど、チームのレギュラーシーズン1位獲得(プレーオフ決勝で敗れて優勝は逃す)に貢献。さらにWPSオールスターズにも選出され、スウェーデンの強豪クラブチーム・ウメオIKとのオールスターゲームに出場した。シーズン終了後の9月には、前所属先の岡山湯郷に一時復帰(レンタル移籍)した。
2010年は2月にロサンゼルス・ソルのWPSからの撤退に伴い実施された分散ドラフトでセントルイス・アスレティカに移籍したが、このチームが資金難の為にシーズン序盤でWPSから脱退。再び行われた分配ドラフトで、この年WPSに新規加入したアトランタ・ビートに再移籍した。WPSシーズン終了後の9月には古巣岡山湯郷に完全移籍と、1年間で3チームに在籍する、めまぐるしい年となった。
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