194cmの長身に加え、勝負強さ・決定力を兼ね備えた大型ストライカー。J2得点王の経歴を持つ。
日本リーグのマツダSC(現サンフレッチェ広島)監督だったハンス・オフトの勧誘を受け来日した父ディド・ハーフナーが、マツダSCでコーチ兼任選手としてプレーしている時に広島で生まれた。父ディドは日本代表や横浜マリノスなどのGKコーチを経て現在は清水エスパルスのコーチを務めている。母も元運動選手で陸上の7種競技でオランダチャンピオンになった経験がある。姉が一人おり、弟は現在名古屋グランパスのユースチームでセンターバックを務めている。1994年に一家で日本国籍を取得した。
子供の頃は家庭ではオランダ語、インターナショナルスクールでは英語、日常生活とサッカーでは日本語を使用したためトライリンガルとなった。頭で考える時は日本語を使う。
コンサドーレ札幌U-15では西大伍とツートップを組み多くのゴールを奪った。父の移籍によって横浜F・マリノスユースを経て2006年にマリノスのトップチームに昇格した。ジーコとジュニオールに次いで史上2組目、日本人としては史上初の親子Jリーガーとなった。同年にはU-18日本代表に招集され背番号9番のエースストライカーをまかされた。
マリノスではレギュラーポジションを獲得することができず、U-20日本代表でも2007年のU-20ワールドカップでは森島康仁の控えに甘んじた。
2008年はアビスパ福岡にレンタル移籍し、26試合で7得点を挙げた。翌2009年に横浜へ復帰したが、新加入の渡邉千真の活躍もあり5月にサガン鳥栖へレンタル移籍し、同じくマリノスからレンタル移籍した山瀬幸宏と共に2トップを組んでゴールを量産し、シーズン15得点を上げチームに貢献した。
2009年シーズン終了後に複数のJ1、J2クラブから勧誘を受けた中でヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。20得点を挙げてJ2得点王に輝き、エースストライカーとして甲府のJ1昇格に大きく貢献した。
2011年シーズンも引き続き甲府でプレーしている。2011年5月16日に一般女性と結婚し、8月5日に第一子となる長女が誕生した。2011年8月に行われた日本代表合宿に初招集され、9月2日のワールドカップアジア3次予選の北朝鮮戦(埼玉)でA代表初出場を果たした。
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