類稀なるサッカーセンスで2011年8月10日に日本代表デビュー。いきなり2アシストを記録するなど、これからの日本代表を背負う存在である。
幼少の頃より将来を嘱望されており、テクニックは同チームユース出身の梅崎司(現・浦和)を凌ぐと言われていた。小学生の頃からオーバーヘッドキックを習得しており、リフティングを200回こなしていた。
U-15世代の時から大分トリニータの下部組織に所属する選手であり、地元出身ということもあり早くからクラブの将来を担う選手として注目されていた。
2008年にトップチームに昇格。1年目からスーパーサブとして出場機会を得て、2008年第20節の清水戦では、1-2の状況から貴重な同点弾となるゴールを決め、これが自身のプロ初ゴールとなった。2009年は、主力選手の怪我人続出もあってレギュラーに定着。23試合に出場して3得点を挙げ、低迷するチームの中で奮闘した。
2010年、大分のJ2降格と財政悪化の影響により、高橋大輔、上本大海と共にセレッソ大阪に完全移籍。同僚の家長昭博も、大分との期限付き移籍満了後セレッソに期限付き移籍し、大分から4人もの選手がセレッソに移籍することとなった。シーズン序盤は相次ぐ怪我のため出場機会は少なかったが、香川真司がボルシア・ドルトムントに移籍後はその穴を埋める存在としてW杯中断明けからは家長昭博、乾貴士とともに3シャドーを形成してレギュラーに定着し、チームの躍進に貢献した。。
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