高い運動量を持つ成熟したサイドバック。ディフェンス面でも安定したパフォーマンスを見せ、上がりのタイミングも抜群。1対1では攻守ともに強く、相手の動きを読む能力は天下逸品。
1994年にコモでキャリアをスタートするとバーリに移籍後、レギュラーに定着し、「バーリの宝石」と称された。1999年にユヴェントスに移籍すると瞬く間に定位置を確保。ついには1999年2月10日のノルウェー戦で当時イタリア代表監督を務めていたディノ・ゾフに見込まれ、代表デビューを果たした。
初期は右サイドのMFとしてプレーしていたが、マウロ・カモラネージを右サイドで起用したいユヴェントスのマルチェロ・リッピ監督(当時)により、2002-2003シーズンより左サイドバックにコンバート。当初からセンタリングなど攻撃の評価は高かったが、反面守備面で不安の声が囁かれた。しかし試合数を積む事で柔軟に対応しユヴェントス、アズーリのレギュラーを不動のものとした。
その後、ユヴェントスの不祥事によるセリエB降格により、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナへ移籍。 2シーズンを過ごしレギュラーとして活躍するもチームのプレイスタイルに馴染めず、ACミランに移籍。イタリアに復帰する。
イタリア代表としては1999年2月10日のノルウェー戦で代表デビューを飾り、EURO2000(準優勝)、日韓W杯(決勝トーナメント1回戦敗退)、EURO2004(グループリーグ敗退)に出場。
ドイツW杯においてもレギュラーとして優勝に貢献した。
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