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国籍 |
オランダ |
生年月日 |
1976/07/01 |
ポジション |
FW |
身長・体重 |
188cm80kg |
特徴 |
フィジカル |
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▼選手紹介▼プレースタイル
恵まれた体格を生かした類い稀な得点能力でペナルティーエリア内で圧倒的な強さを発揮するFW。
同じオランダ代表のパトリック・クライファートとは生年月日と身長が全く同じであるが、犬猿の仲であることはよく知られている。2人のサッカー人生、生まれた環境等も対照的。2トップを組んだことがあるが全く噛み合わなかった。
2007-2008シーズンのUEFAチャンピオンズリーググループステージ最終節、ホームでのSSラツィオ戦終了後、すぐにピッチサイドへと向かい、観客席の女性にユニフォームを手渡した。その女性はファン・ニステルローイと同郷の余命2か月と宣告されていた重病患者で、お互いに面識はなかったが、彼女の事情を耳にしたファン・ニステルローイの父親がそれを息子に伝え、ファン・ニステルローイがその試合に招待した。女性はそれを受け取ると、涙を流しながら感謝の気持ちをキスで表現し、泣き崩れる彼女をファン・ニステルローイは、温かい表情で見守った。
1993年にオランダのクラブチーム・FCデン・ボスでキャリアをスタート。フォワードとして頭角を現し、1998年にPSVへ当時のオランダリーグ最高額の移籍金で移籍。2年連続でエールディヴィジ得点王となる。PSVでの活躍が海外からも注目され、2000年にマンチェスター・ユナイテッドFCが獲得に名乗りを挙げたが、故障のため先送りとなり翌年入団。
移籍初年度から23ゴールを挙げ、プレミアリーグの得点ランクで2位タイにつけた。また、UEFAチャンピオンズリーグでも10得点を記録し、大会得点王となる。その年、PFA年間最優秀選手賞にも選ばれた。翌年もUEFAチャンピオンズリーグ得点王、さらに3つのハットトリックを含む25得点でプレミアリーグ得点王に輝くなど、オランダのみならず世界有数のストライカーに成長した。2004年にはクラブ通算100ゴールを達成し、ミルウォールFCとのFAカップ決勝ではPKを含む2ゴールを挙げ、タイトル獲得に貢献した。2004-05シーズンは怪我によりリーグの多くを欠場した。しかし、UEFAチャンピオンズリーグでは8ゴールを記録し、3度目の得点王となる。2005−2006シーズンもゴールを量産したが、ウェイン・ルーニーを主軸にルイ・サハとファン・ニステルローイをチョイスする監督のアレックス・ファーガソンの起用法に反発。2006年夏の移籍市場に移籍金1500万ユーロでレアル・マドリードに移籍した。
移籍早々のリーグ第2節レバンテ戦でハットトリックの活躍をみせると、2006年11月12日のオサスナ戦では前半のみでにハットトリックを達成し、後半にも1点を追加し計4得点を取るなど、1年目から得点を量産。優勝がかかった終盤戦でも、31節から37節までウーゴ・サンチェス以来となる7試合連続ゴールを決めた。これによりチームの優勝に大きく貢献し、個人としても得点王に輝いた。しかし、翌2007-2008シーズンの後半に負傷した際、メディカルスタッフやプレドラグ・ミヤトヴィッチSDの制止にもかかわらずアメリカで独断で手術を行い残りのシーズンをふいにした。2008-2009シーズンにも負傷をしてしまい、診断のためアメリカへと渡った(この時はクラブとの合意を得た上で行った)。その結果、右膝半月板の損傷とされ、そのシーズン中での復帰は絶望とされた。
2009年9月20日のシェレスCD戦で80分にクリスティアーノ・ロナウドに代わって復帰を果たし、89分にはゴールも挙げたが、その試合で再び怪我に見舞われてしまい、6週間の離脱を余儀なくされた。本人はレアル・マドリードで現役生活を終えたいと代理人を通じ語ったが、レアル・マドリードが2009年夏の移籍市場に行った大型補強の結果、出場機会が激減し、2010年冬の移籍市場でレアル・マドリードとの契約を解除してハンブルガーSVに1年半の契約で移籍した。
2010年2月6日のケルン戦で途中出場しブンデスリーガデビューを飾ると、続く同月13日のシュトゥットガルト戦で2得点を挙げた。3月11日のRSCアンデルレヒト戦では、UEFAヨーロッパリーグ初得点もマークした。
2010年冬の移籍市場で、ゴンサロ・イグアインの離脱によってFWの補強が急務になったレアル・マドリードへのレンタルでの復帰が取り沙汰された。ファン・ニステルローイ自身もこの移籍には乗り気であり、移籍金の一部を自ら負担する姿勢もみせた。しかし、HSV側はこのオファーを拒否した。シーズン後に、大型補強を続けるマラガCFへの移籍を発表した。
オランダ代表には1998年11月19日のドイツ戦で代表デビューを果たす。2006ドイツワールドカップメンバーにも選ばれたが、監督のファン・バステンの起用法などに不満を持ち、大会終了後には「マルコ(ファン・バステン)がベンチにいる間は代表として戦わない」とその後の代表招集を拒み続ける。また、EURO2008の予選で将来を期待される若手FWの1人だったフンテラールが怪我で出場できない試合があったときにはファン・バステンから直接出てくれないかと電話があったが、ファン・ニステルローイは断った。フンテラールの代役という形が嫌だったらしい。その後、ファン・バステンと和解し、2007年8月22日のスイス代表との親善試合からオランダ代表に復帰している。
2008年8月5日、代表引退を発表した。しかし、「2010南アフリカワールドカップに出て欲しいと言うのなら、NOとは言えない」と代表復帰を匂わす発言をしている。また、半月板の負傷により離脱している間には「代表チームから招集されて、W杯でプレーできるように戦いたい」と語った。
2010南アフリカワールドカップは代表選考から漏れ、出場できなかった。
2010年8月30日にアーセナルFC所属のロビン・ファン・ペルシの負傷により、代役として2年ぶりに代表に招集された。9月3日のEURO2012予選のサンマリノ戦では途中出場し2年ぶりの得点も挙げた。
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