広い視野と高いテクニックを駆使してゲームをコントロールする「ポスト・ジダン」候補の司令塔。吸い付くようなボールタッチと軸足の後ろを通すドリブルやターンが特徴的。キックの精度も高く、フリーキックやミドルシュートでもゴールを奪える選手である。またジダン同様フィジカルコンタクトにも強く、逆足のキック精度も非常に高い。やや特異な体質の持ち主であり、強靭ではないが、人一倍持久力があり、疲労や故障を起こしにくい。
元サッカー選手で指導者であった父のクリスティアン・グルキュフがFCロリアンで監督をしていたことから、同チームのユースに所属。その後、父と共にスタッド・レンヌのユースへ移り、2003年に同チームでプロデビューした。2005年に開催されたU-19欧州選手権ではハットトリックを決める活躍などでチームの優勝に貢献、一躍ヨーロッパのビッグクラブから注目を集める存在となった。2005-06シーズンは19歳ながら背番号10を背負うと、国内リーグでは7得点を決め、UEFAカップでも印象的なプレーを残した。
オフシーズンにはアーセナル、バレンシア、アヤックスなど多くのクラブが獲得合戦を繰り広げたが、2006年7月、移籍金450万ユーロ(約6億3000万円)でセリエAのACミランに移籍した。
2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーググループリーグ第1節AEKアテネ戦でチャンピオンズリーグ初得点を決めた。しかしながらレギュラーポジションを掴むことはできず、2008年、出場機会を求めてボルドーへレンタル移籍した。ここで才能が開花し、ボルドーでは以前ジダンがいた事がありプレーも似ている事からジダンの後継者として注目された。
2008-09シーズンには12得点10アシストでチームの10シーズンぶりのリーグ制覇に貢献し、リーグ・アン最優秀選手に選ばれた。その活躍が評価され、レアル・マドリードなどのクラブが興味を示したが、ボルドーが完全移籍オプションの移籍金1340万ユーロをACミランに支払い、完全移籍した。2010年8月にボルドーからオリンピック・リヨンに2200万ユーロで移籍した。背番号は29。由来は故郷フィニステール県の県番号にちなんだもの。
フランス代表としては、UEFA U-19欧州選手権優勝メンバーの一人である。UEFA U-21欧州選手権も経験している。2008年8月20日にスウェーデン戦でA代表デビューすると、この試合で高い評価を受けた。同年10月11日、ルーマニア戦でフランク・リベリーのパスを受けて豪快なロングシュートを決め、代表初ゴールを記録した。2010
FIFAワールドカップではフランク・リベリーからいじめを受けたと報じられ、またプレーでもグループリーグ第3戦の南アフリカ戦で前半26分にレッドカードを受け一発退場するなどいいところがなく、フランスも1勝もできぬまま大会を去った。
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