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▼選手紹介▼プレースタイル
「基本的に小さい頃からサッカーは倒れたら負けというつもりでやってきた」と本人も語っているが、日本人としては珍しく屈強なフィジカルを持ち、外国人選手との一対一でも当たり負けすることは少ない。キック力に優れ、スルーパス、ロングパス、シュートの能力、なによりフリーキックの精度が高く、無回転とカーブする球を蹴り分けることができる。また全ての中盤のポジションと、サイドバックも務めユーティリティ性に優れている。
以前は日本代表では守備時の運動量の少なさを指摘されていたが、攻撃時にはゴール前へ飛び出すことが多い。これはプレーの効率性を上げるためメリハリを重要視しているためだという。しかし、CSKAモスクワではボランチ起用が多く、走行距離もチーム内で1位2位を争うほどであり、FIFAワールドカップ・南アフリカ大会第1戦のカメルーン戦では、FWでありながらチーム内で2位となり、4試合390分で45.48kmとトップの遠藤保仁に次ぐ数値を記録するなど、献身的なプレースタイルに変化している。なお、VVVフェンローでは、本田を攻撃の中心としたフォーメーションが採用されていた。
VVVフェンローに移籍後はセンターハーフも務め、同僚のサンドロ・カラブロから「お前がゴールを決めているのはユーチューブ(YouTube)の中だけ」とシュート意識の低さに関して批判をうけた後は「おれはゴール前だったら絶対パスは出さない。悪いけど、カラブロがフリーであろうがなんだろうが、前が空いていたらシュートを打つ。そういうところは少しずつ意識改革ができている。おれもあいつらに“欲”という意味では負けているつもりはないし、もっとわがままにやってもいいのかなと思っている」と自らゴールを狙っていく姿勢を強めたことを語っている。このような経緯もあり、近年はMFとしては非常にゴールが多い選手として知られているが、アシストも多く記録し、更に本田のシュートのこぼれ球を味方が押し込みゴールを奪うというケースも多々あり、VVV時代はチームの得点の大半が本田を起点とするものであった。
また、サポーターからの信頼も厚く、2009-10シーズン第2節のデン・ハーグ戦では、序盤0対2と劣勢に立たされながら本田の2ゴールで同点とした試合で、退場処分を受けながらなかなかピッチから出ようとしない相手選手に対し、本田が駆け寄り退場するように促した際、相手選手が激昂し本田の胸を突き、これをきっかけとし両軍入り乱れの乱闘となった。この時、サポーターから「HONDA! HONDA!」と大合唱が起きた。
2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会敗退直後、アーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督より「天才」「ここまでのベストプレーヤー」「間違いなくトップレベル」「日本のさらなる成長の為には本田のように能力が揃っているクローン選手を育成するべき、それが無理なら本田をさらに活かす為にビジャのような相棒を探すべき」との絶賛を受けた。
10月には世界的なサッカー情報サイト「goal.com」が「アジア人最高のサッカー選手」と称える記事を掲載した。
2011年に、オランダ2部のVVVフェンローで2009-10シーズンMVPを獲得した活躍を称え、高校時代を過ごした第2の故郷・石川県金沢市内に子供向けの42メートル×28メートルの人工芝コート「本田圭佑クライフコート」が設置されることになった。
オランダのNPO法人ヨハン・クライフ財団からフェンローのベルデン会長を通じ、同コートを寄付したい旨の要望が日本サッカー協会に届いた。その後、日本協会が石川県協会、金沢市などの協力を経て実現する運びとなった。
2010年2月24日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦がCSKAでの初出場となり、同時にチャンピオンズリーグにも初出場となった。3月12日のリーグ開幕戦であるアムカル戦では、試合終了間際の後半ロスタイムに決勝点となるゴールを決め、チームのシーズン初勝利に貢献。セビージャとのアウェーでの2ndレグでは、前半39分にCL初のアシストを、後半10分にはゴール約30mの位置から決勝点となる直接FKを決め、CL初得点をマーク。2戦合計3対2でCSKAが勝利し、日本人初、クラブ史上初、ロシアリーグ所属チーム史上初となるCLベスト8への原動力となった。この試合ではマンオブザマッチに選ばれ、さらに1stレグ2ndレグ共に欧州の複数のスポーツ紙にてCL週間ベストイレブンに選ばれた。リーグ前半終了時点でのロシアスポーツ紙の採点では平均5.96で全選手中10位(1位は6.25)と、VVV時代とは違うボランチでの出場が多いながらも高く評価され、監督との対立もあり不慣れなボランチでの出場が多かったものの最終的に4ゴールと結果を残し、CSKAモスクワのCL本戦出場権獲得に貢献した。
2011年5月22日に行われたロシア・カップ決勝のアラニア戦では、途中出場で決勝ゴールをアシストし、CSKAモスクワの2季ぶり6度目の優勝に貢献した。2011-12シーズンは、主にボランチではなく得意とする右サイドハーフで起用されたことで得点に絡む機会が増え、18試合で前シーズンを上回る7得点を挙げるなど好調を維持していたが、8月28日のスパルタク・モスクワ戦で右膝半月板を損傷し、後日手術を受け、全治には最大約3ヶ月と発表された。
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