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国籍 |
アイルランド |
生年月日 |
1977/08/31 |
ポジション |
DF |
身長・体重 |
177cm75kg |
特徴 |
フリーキック |
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▼選手紹介▼プレースタイル
左サイドからの積極果敢なオーバーラップと左右両足から放たれる正確且つスピードのあるセンタリングと凄まじく強烈なシュート、それに加えて激しいタックルと世界でもトップクラスの技術を誇るフリーキックが特徴の超攻撃的左サイドバック。 「黄金の左足(ゴールデン・レフティ)」の異名を持つ。
全盛期には世界屈指の左サイドバックであると同時に、世界最高のプレースキッカーとしてシニシャ・ミハイロヴィチやデビッド・ベッカム、ロベルト・カルロス・ダ・シウバ、ロベルト・バッジョらとよく比較された。特に、同じ世界屈指の超攻撃的左サイドバックであり、「悪魔の左足」の異名を持つロベルト・カルロス・ダ・シウバとはプレースキッカーとしてやサイドバックとしての能力などさまざまな面で比較の的となった。
左利きでありながら右足の技術にも素晴らしいものがあり、注目されがちな左足だけでなく右足でも遜色のないシュートやクロスを放つことができる。また、正確無比なコーナーキックやセンタリングは世界でもトップクラスの精度とスピードを誇り、50m以上前方の味方へも恐ろしく正確且つ質の良いロングフィードを行うことができたりとチームでは攻撃の起点として非常に重要な役割を果たす。
守備面に関してもディフェンダーとしては決して恵まれているとは言えない体格であるが、体の入れ方が非常に上手く、体格のわりに競り負けることは少ない。
そして何よりもイアン・ハートという選手をフリーキック抜きでは語ることはできない。 前述のようにフリーキックのみでハットトリックを決めたりと、最高の評価を得ている彼のフリーキックに関しては、狙った場所を正確に射抜く精度・驚異的なシュート力・切れるような鋭いカーブの全てが世界トップクラスであり、「芸術的」というよりも「破壊的」と評される。また、凄まじいスピードを誇る強烈なシュート以外にも、狙い済ましたような柔らかくしなやかなシュートを放つこともできる。世界を代表する名プレースキッカーである彼の左足は、まさに「黄金の左足」と呼ぶに相応しい。
1996年1月にイングランド・プレミアリーグのリーズ・ユナイテッドでプロデビューを果たす。リーズ・ユナイテッド入団後は、ジョナサン・ウッドゲイト、リオ・ファーディナンド、ポール・ロビンソンらと共に守備陣を構築、ハリー・キューウェル、アラン・スミス、マーク・ヴィドゥカ、ロビー・キーンなど豪華な攻撃陣をバックアップし、リーズ・ユナイテッド黄金期を支えた。
99/00シーズンにはプレミアベストイレブンにも選出された。 00/01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、1次リーグでACミラン、FCバルセロナと互角に渡り合い2位で通過、続く2次リーグもレアル・マドリード、SSラツィオと同じグループを2位で通過した。
準々決勝デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦の1stレグで先制点を挙げて突破を果たすものの、バレンシアCFに完敗を喫した。 2000年には親善試合でフリーキックのみでハットトリックを達成するという離れ業を演じた。
2002年には日韓W杯のアイルランド代表の出場にも大きく貢献、チームメイトのロビー・キーンやダミアン・ダフ、ナイアル・クインらをはじめとするアイルランドを代表する名選手達と共に見事チームをベスト16進出に導いた。
2004年にはリーズ・ユナイテッドが財政難に陥り、リオ・ファーディナンド、アラン・スミスらチームの主力選手が次々と放出されてゆくなか、ハートは2002/03シーズンにアーセナルFC相手の大切な試合で素晴らしいフリーキックを決めたり、それ以前のUEFAチャンピオンズリーグでの活躍からかFCバルセロナやACミランを含む多数のビッグクラブから1100万ポンド(約23億円)でのオファーを受けたと言われていたにも関わらず、スペイン・リーガ・エスパニョーラのレバンテへ移籍した。レバンテでは56試合出場で4得点を上げたが、2005-2006シーズン以降はイングランドリーグ復帰の噂が絶えず、2006-2007シーズン終了をもってレバンテとの契約を満了。2007年8月にイングランド・プレミアリーグのサンダーランドAFCと契約したが、2008年6月をもってサンダーランドとの契約を満了。2008年12月から2009年2月までブラックプールFCに所属して4試合に出場。2009年3月にフットボールリーグ1(3部相当)のカーライル・ユナイテッドFCと契約。カーライル・ユナイテッドではディフェンダーとしてプレーしながらも、2009−2010シーズンに44試合出場、16得点という好成績を残し、チーム得点王となった。
2010年8月、レディングFCへ移籍。
アイルランドのサイドバックは昔から優れた選手が集うことで有名で、イタリアのセンターバックと並ぶ世界最高の激戦区である。 そんな中で、ハートはアイルランド代表として1996年に18歳の若さでみごと代表入りを果たした。
当時の世界的左サイドバックであり、アイルランド代表のレギュラーだったデニス・アーウィンはハートの成長を見て代表引退を決意した程である。
2002年の日韓W杯では、全試合にスターティングメンバーとして出場を飾る。チームとしても予選にてポルトガル・オランダという強豪に対し、ロイ・キーン率いるアイルランドは非常にタフなメンタリティを発揮、そしてハート・スティーヴ・フィナンらの高速サイドアタックなどの伝統的なアイリッシュサッカーを展開し、互角に渡り合った。
敗北はイランに対する一回だけで、ホームでは強豪オランダを2-1で破るなどの大健闘を見せた。ハート自身も4得点を挙げ、アイルランドを2大会振りの大会出場に大きく貢献し、チームの最終的な成績も8勝3分1敗と好成績であった。
グループリーグでも持ち前のアイリッシュサッカーを展開、一敗もすることなくドイツに次いで2位でグループリーグ突破を決めた。 決勝トーナメント初戦にて、強豪スペイン相手にPK戦まで持ち込んだものの惜しくも敗退、アイルランド代表はベスト16進出という成績に終わった。
また、日韓W杯の際、アイルランド代表は練習を非公開にせず、キャンプ地である千葉県周辺の地域住民らとの積極的な交流が彼らに大変好印象を与えたようで、有志による「アイルランドサポートクラブ千葉」というアイルランド代表を応援する会が発足された。「アイルランドサポートクラブ千葉」は大会終了後もアイルランド代表の応援活動や、「日本代表対アイルランド代表戦の実現」に向けての署名活動を現在でも続けている。
そういったこともあり、アイルランド代表メンバーでありチームの攻撃の要でもあるハートは日本(特に千葉県)での大きな知名度と人気を得た。
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