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国籍 |
オランダ |
生年月日 |
1975/02/05 |
ポジション |
SB |
身長・体重 |
178cm75kg |
特徴 |
ポリバレント性
攻撃参加 |
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▼選手紹介▼プレースタイル
正確かつ強烈な左足キックを武器に、絶妙なオーバーラップで攻撃に厚みをもたらす左サイドバック。主に左サイドバックとして起用されたが、ディフェンシブハーフやウイングなど複数のポジションをこなしたポリバレントなプレイヤー。
2010年FIFAワールドカップでは、不動の左サイドバックとして全7試合に先発出場。準決勝のウルグアイ戦でロングシュートで先制点を挙げるなど活躍し、オランダ代表として32年ぶりの準優勝に貢献した。
フェイエノールトの下部組織で育ち、1994年にトップチームデビューした。1998年に移籍したスコットランドのグラスゴー・レンジャーズFCではスコティッシュ・プレミアリーグ優勝2度、スコティッシュ・カップ優勝2度など数々のタイトルを獲得し、2001年にイングランドのアーセナルFCに移籍した。2003年からはスペインのFCバルセロナでプレーし、2005-06シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで優勝するなどキャリア最高の活躍を見せた。2007年に古巣フェイエノールトに戻り、2010年までプレーした。
1996年にオランダ代表デビューし、3度のFIFAワールドカップ(1998、2006、2010)と3度のUEFA欧州選手権(2000、2004、2008)に出場した。2010
FIFAワールドカップではキャプテンを務め、大会終了後に選手生活に終わりを告げた。
2003年夏、完全移籍も視野に入れたレンタル移籍でリーガ・エスパニョーラのFCバルセロナと契約合意した。左サイドバックのポジションに順応すると、2003-04シーズン後半戦の巻き返しに貢献し、2004年5月にはFCバルセロナと3年契約を結んで完全移籍を果たした[10]。FCバルセロナからアーセナルFCには移籍金200万ユーロが支払われている。2004-05シーズンは4得点を挙げてキャリア最高といえる活躍を見せてリーグ優勝。2005-06シーズンもリーグタイトル防衛を果たし、UEFAチャンピオンズリーグではチーム唯一の全試合出場選手として優勝に貢献した。アーセナルFCではユニフォームの背面にブロンクホルスト(Bronckhorst)という文字が刻まれたが、FCバルセロナではジオ(Gio)が使われた。
2007年8月21日、FCバルセロナとの契約満了に伴って古巣のフェイエノールトに移籍した。ベルト・ファン・マルワイク監督は初年度の2007-08シーズンからファン・ブロンクホルストをキャプテンに指名した。
2006 FIFAワールドカップ本大会グループリーグではレギュラーだったが、決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦でレッドカードを提示された。この試合では計4枚ものレッドカードが乱発され、FIFAワールドカップの1試合最多退場記録を更新している。退場後にはスタンドに上がり、同じく退場処分を受けたMFデコの隣で試合を観戦した。ポルトガル代表のデコとは敵同士だったが、FCバルセロナでチームメイトであった。
2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではキャプテンを務め、2010 FIFAワールドカップ本大会のメンバーにも順当に選出された。左サイドバックのレギュラーを務め、グループリーグ初戦のデンマーク戦で代表通算100試合出場を達成した。準決勝のウルグアイ戦(3-2)では、41mの距離から強烈なロングミドルシュートでゴールを射抜き、このゴールは同大会最高のゴールのひとつに数えられている。早くから大会後の現役引退を表明しており、決勝のスペイン戦がプロ選手としてのファイナルマッチとなった。この試合にも先発出場したが、90分を終えて0-0で延長戦にもつれ込み、105分にDFエドソン・ブラーフハイトと交代した。116分に相手MFアンドレス・イニエスタの決勝点が決まって試合に敗れたが、準優勝という功績に誇りを持っていると語った。
既婚者であり、妻との間にふたりの息子がいる。見た目とは裏腹におちゃらけた性格で、ベンチに座っている時は頻繁に周りのチームメイトへちょっかいを出している。親友のヘンリク・ラーションとは家族ぐるみの付き合いをしている。
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