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国籍 |
イングランド |
生年月日 |
1980/05/30 |
ポジション |
MF |
身長・体重 |
188cm83kg |
特徴 |
ミドルシュート
キャプテンシー |
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▼選手紹介▼プレースタイル
イングランド、マージーサイド州・ウィストン出身のサッカー選手。プレミアリーグ・リヴァプールFC所属。ポジションはMF。攻撃的なポジションならどこでもこなせるマルチロールな選手。両足から繰り出される強烈なミドルシュート、キャプテンシーが魅力。
幼少の頃からリヴァプールFCのアカデミー(下部組織)で才能を磨き、1998年にトップチームデビューを飾る。デビュー当初は右サイドバックとしてプレー。その後、ポジションをセンターハーフにコンバートされる。代表デビューは2000年5月のウクライナ戦。19歳でUEFA欧州選手権2000の代表メンバーに選ばれている。翌2000-2001シーズンではリヴァプールのレギュラーとして活躍。カップ・トレブルに大きく貢献した。
2002年日韓ワールドカップは怪我のため落選している。2002-2003シーズンのプレミアリーグ最終戦のチェルシーFC戦では、勝った方が4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という状況の試合であったにもかかわらず、試合中に不用意なレッドカードを貰ってしまい、チームは敗れてしまう。しかし、翌2003-2004シーズン途中にサミ・ヒーピアからキャプテンを受け継ぐと、秘めたるポテンシャルが一気に開花。同シーズン、チームはUEFAチャンピオンズリーグ出場権を争う位置にいたが、シーズン終盤のジェラードの活躍によって最終節を待たずして4位を決め、前年の汚名を返上。シーズン後にチームのエースであったマイケル・オーウェンが移籍した時、一時はジェラードにもチェルシー移籍の話が持ち上がった。しかし記者会見で残留を明言。
2005年は、リーグ戦で低迷するチームを鼓舞しながら、UEFAチャンピオンズリーグにおいては、GL突破のためには2点差以上の勝利が義務付けられた最終戦のオリンピアコスFC戦で、試合終了間際にミドルシュートを決め3-1とし、チームを決勝トーナメントへ導く。決勝トーナメントでは得点こそなかったものの、存在感を示しチームは決勝戦へと進出させた。決勝のACミラン戦では3-0のビハインドを覆す逆転優勝を決めるきっかけとなるヘディングシュートを決めてみせた。ゴール直後のチームメイトとサポーターへむけた『盛り上がれ!』というパフォーマンスは有名である。また、このシーズン終了時に再びチェルシーへの移籍が報道された。代理人が「交渉は修羅場になった」と発言するほど契約延長交渉は乱れたようだが、これはジェラード本人とクラブ側との些細な思い違いから始まったものであった。正式な会談を持った結果、ジェラードはあっさりとチームへの残留を決めた。
2005年12月には、FIFAクラブワールドカップでヨーロッパ代表として来日。リヴァプールは準優勝に終わったが、テレビの宣伝などで日本での知名度は上がった。
2006年のドイツW杯で2得点をあげる活躍をした。
2008-2009シーズンUEFAチャンピオンズリーグのPSVアイントホーフェン戦において、自身100ゴール目となるフリーキックを決めた。
2009年3月22日、アストン・ヴィラFC戦で、自身リーグ戦初のハットトリックを達成したように、2008-09年シーズンはポジションを少し上げたことにより得点力が増し、自身最高のリーグ16得点をマーク。リーグ得点ランキングは、ニコラ・アネルカ、クリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位となり、またチーム内の得点王となった。
2009-10シーズンはチームの不振により、ジェラード自身も度重なるケガに悩まされた。春先になりチームと共に調子を上げたものの及ばず、リヴァプールは7位に終わった。
2010 FIFAワールドカップでは、大会直前の練習で代表主将のリオ・ファーディナンドが負傷離脱したため、副主将であるジェラードが主将を務める。
レッド・ドラゴンの異名を持つ。竜のように力強く空中戦でも強さを見せるため。
2002年W杯で、中盤の選手が足りなかった当時の代表監督スヴェン・ゴラン・エリクソンは「ジェラードが2人いたなら…」と言った。実際は怪我のため本人も出られず、エリクソンは更に苦悩したと言う。
リヴァプールのチームメイトであるジェイミー・キャラガー、現在マンチェスター・ユナイテッドFCに在籍中のマイケル・オーウェンとは、リヴァプールのアカデミー時代からの親友である。
2007年10月1日、ジェラードの運転する車に、歩道から飛び出してきた10歳の少年が接触した。小学校の前だったため減速していたが、この事故で少年に左足骨折の大怪我を負わせてしまった。しかし、その後すぐに運転席から飛び出し駆け寄ったジェラードは、少年の手を握り締め救急車が到着するまで付き添うと、警察の事情聴取に応じた後少年の家族と連絡を取り、2日後に病院にお見舞いにいくと約束した。さらに、その少年がマンチェスター・ユナイテッドの大ファンであることを知ると、同チームのエース、ウェイン・ルーニーに頼みサイン入りのスパイクを用意し、自分のサインを書き込んだイングランド代表のユニフォームと一緒にプレゼントした。
リヴァプールの精神的支柱であり、大黒柱でもあるため、同じくリヴァプールに本拠地を置くエヴァートンFCとのマージーサイド・ダービーは人一倍思い入れが強く、途中交代させられたときは失望の色を隠さなかった。
フランク・ランパードとはプライベートでも友人同士なのだが、共に招集を受けた代表ではプレースタイルが似通っている為なのか、いざ中盤に並べてみると妙に息が合わなかった。しかし、カペッロ監督の下ではうまく共存しており2010W杯予選突破に貢献した。
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