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国籍 |
オランダ |
生年月日 |
1984/06/09 |
ポジション |
MF |
身長・体重 |
170cm72kg |
特徴 |
司令塔
フリーキック |
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▼選手紹介▼プレースタイル
サッカー選手としては170cmと小柄で身体能力は高くないが、卓越したボールコントロール技術、視野の広さと正確なパスでゲームメイカーとして優れており、強烈なミドルシュートを打つキック力、無回転シュートや落ちるシュートなどバリエーション豊かなFKでゴールを決めMFとしては得点能力が高く、大きな大会で活躍を見せる勝負強さも持つ。ただボールが自分の所に来ないと何度もボールを貰いにいき下がりすぎてしまったり、イライラしてファールをしてしまい無意味にカードを貰ってしまう気性の荒さが欠点。
ユトレヒトで祖父、父もプロ選手であったというサッカー一家に生まれた。兄、弟と共にサッカー選手を志し、1992年にアマチュアのDOSというクラブからアヤックスの下部組織に入団。
2002-2003シーズン、2002年12月22日のエクセルシオール戦にてトップチームデビューを果たす。同シーズンはリーグ、カップ計23試合に出場し5ゴールという活躍を見せた。
2003-2004シーズン、その卓越したパススキルを存分に発揮しセンターハーフのレギュラーに定着。シーズン計38試合出場、10ゴールを挙げリーグ制覇に大きく貢献し、同シーズンのヨハン・クライフ賞を受賞。2004-2005シーズン、2005-2006シーズンは司令塔としてアヤックスを支えたものの、ライバルであるPSVアイントホーフェンがフース・ヒディンクの下で全盛期を迎えており、クラブレベルでの特筆した成果を収めることが出来なかった。2006-2007シーズン、クラブで背番号10を与えられると、卓越したパスセンスに加えゴールを狙う積極性が増し、FKやミドルシュートでゴールを量産。リーグで18得点という成績を叩きだした。
2007年夏の移籍市場にて、同じリーガ・エスパニョーラのバレンシアCFとの獲得レースを制したレアル・マドリードへ加入。移籍金は2500万ユーロとされ、背番号はデビッド・ベッカムの着けていた23に決まった。2007-2008シーズン、開幕戦となったアトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーでリーガデビューを果たすと、続くビジャレアルCF戦で2得点、UDアルメリア戦で1得点を挙げ、その後も中心選手として活躍し、レアル・マドリードのリーグ2連覇に貢献した。2008-2009シーズンは背番号10を与えられたが、負傷の影響、さらにはリハビリや通院と称してオランダのテレビタレントの女性と不倫を重ねていたことが発覚、離婚と慰謝料を求められ裁判沙汰になるなどして活躍できず結果を残すことは出来なかった。
本人はレアル・マドリードへの残留を希望するも、レアル・マドリードが2009年夏の移籍市場にて大型補強を行ったことにより放出候補となり、2009年8月、半ば追い出されるような形でセリエAのインテルへ移籍した。移籍金は1500万ユーロ(約20億円)、年俸400万ユーロの4年契約とされている。加入から2日でミラノダービーに先発出場し、加入したばかりとは思えないパフォーマンスを見せ、インテルの大勝に貢献。10月3日に行われたウディネーゼ戦で後半ロスタイムにチームを救うセリエA初得点を挙げた。その後も中心選手として活躍し、インテルの史上3度目となるセリエA5連覇、また、イタリア史上初の主要タイトル3冠達成に大きく貢献した。シーズン終了後、UEFA最優秀MFに選出された。
インテルでの3冠獲得と後述のワールドカップでの活躍から2010年のFIFAバロンドールの最有力候補と考えられていたが、2010年12月7日に発表された最終候補3人から外れ、物議を醸した。結局、スナイデルはベストイレブンに選出されるにとどまった。
2003年4月30日のポルトガル戦で代表デビューを果たす。同年10月11日のUEFA欧州選手権2004予選モルドバ戦で代表初得点を記録すると、同年11月19日には同予選プレーオフスコットランド第2戦で1得点3アシストの活躍で同国をUEFA欧州選手権2004本戦出場に導き、自身も本大会のメンバーに選出された。予選終盤での活躍とは裏腹に本大会ではシステムが4-4-2から4-3-3へ変更され中盤の枚数が減り、フィリップ・コクー、エドガー・ダーヴィッツ、クラレンス・セードルフといった百戦錬磨のベテランを揃えていたため、ベンチを暖める時間が多かった。同国は準々決勝で開催国ポルトガルに敗れベスト4で大会を去っている。
その後、新監督に就任したマルコ・ファン・バステンからも信頼を与えられ、2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のフィンランド戦、アンドラ戦でゴールを挙げる活躍を見せ、同国の2006
FIFAワールドカップ出場に貢献。自身も本大会メンバーに選出された。かつてのアヤックスでのチームメイトラファエル・ファン・デル・ファールトと攻撃的MFのポジションを争い、死のグループと呼ばれたグループCを突破したが、ベスト16で敗退を喫した。
UEFA欧州選手権2008では、グループリーグ初戦のイタリア戦にて、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストが左サイドから上げたアーリークロスを、エリア右からディルク・カイトがヘディングでふわりとあげたボールを、完璧なタイミングで飛び出してきたイタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンが僅かに開けてしまったシュートコースに叩き込んだ。このゴールと1アシストの活躍で勝利に貢献。同国はベスト8で敗退してしたものの、大会を通じて非常に高いパフォーマンスを見せ、欧州サッカー連盟の選ぶ23人のベストプレイヤーの中に選ばれた。
2010FIFAワールドカップでのスナイデルとファン・デル・ファールト2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグの日本戦で決勝点となるゴールを決め、ワールドカップ初ゴールを記録。決勝トーナメントでは準決勝まで3試合連続ゴールを決めた。前述の日本戦の他、グループリーグ初戦のデンマーク戦、逆転の2ゴールを挙げた準々決勝ブラジル戦、勝ち越しゴールを挙げた準決勝ウルグアイ戦の4試合で大会選定のマンオブザマッチに選出される活躍を見せ、オランダの32年ぶりの決勝進出に貢献した。また、大会5ゴールでディエゴ・フォルラン、トーマス・ミュラー、ダビド・ビジャに並ぶ得点王(FWとして併用されない純粋なミッドフィールダーがW杯得点王に輝いたのは、スナイデルが初の快挙)となり、ブロンズブーツ賞とシルバーボール賞を受賞した。
インテルで3冠を経験した時の監督であるジョゼ・モウリーニョを高く評価しており、2011年1月のFIFAの授賞式で顔を合わせた際にはスピーチで「モウリーニョと一緒に仕事ができて嬉しかった。彼には、僕が彼を世界最高の監督だと思っていると伝えたい」と語り、モウリーニョの涙を誘った。
自宅に招いたチームメートの長友佑都とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿したことが話題となった。また、2011年夏にインテル残留の希望を表明した際にも、「素晴らしいチームメイト」としてハビエル・サネッティとともに長友の名前を挙げるなど、仲が良い。
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