精度の高い右足から鋭いスルーパスやクロスでチャンスを演出するプレーメーカー。ドリブルによる突破力もあり、トップ下だけでなく両サイドもこなせる。シュートは精度、威力が非常に高く、ペナルティエリア外からも強烈なシュートを枠内に叩きこむ。 足元の技術が卓越しており、やわらかいボールタッチを駆使したボールキープやトリッキーなプレーは観客を大いに楽しませる。
9歳でクロアチア1部リーグの名門・ディナモ・ザグレブの下部組織に入団。16歳でトップチームデビューし即戦力として活躍、翌シーズン18歳にして主将に抜擢された。2003年、クロアチア代表に招集を受けるも出場は果たせなかった。しかし翌2004年、当時監督であった父ズラトコに再び招集を受け、弱冠20歳でA代表デビュー。しかしながら、同年に行われたU-21欧州選手権では不本意なプレーに終始し、結果EURO2004におけるA代表の選考に漏れた。さらにクラブの不振とスタメン落ち、フロントとの確執が深刻化し、2005年、シーズン途中でライバルクラブのHNKハイデュク・スプリトに移籍。ディナモからは裏切り者のレッテルを貼られる苦悩のシーズンを過ごしながらも、ハイデュクでリーグ優勝を勝ち取った。
2005年、一部からは「親の七光り」などの批判も受けるも、チームの司令塔としてワールドカップドイツ大会のヨーロッパ予選9試合に先発出場。自身2ゴールを挙げるなど、本戦出場権の獲得に貢献。しかし初の大舞台となった本大会ではニコおよびチームは満足なプレーを見せることなく1引き分け2敗でグループリーグ敗退となり、父と共に戦犯扱いされた。W杯終了後はニコが強く望んでいた他国リーグへの挑戦の夢が叶い、プレミアリーグのポーツマスの一員となった。ポーツマスでは100試合に出場して12得点した。
2009年9月1日、移籍期間の最終日に同じプレミアリーグのトッテナム・ホットスパーに250万ユーロ(約3億7500万円)の移籍金で移籍した。トッテナムではクラニチャールと同じクロアチア代表のルカ・モドリッチを直前の試合で負傷しており、その穴埋めとなる選手を探していた。
かつての同国の英雄に準えて「ズボニミール・ボバンの後継者」と呼ばれ、クロアチア国民の期待を一身に背負っている。またその甘いマスクで女性からの人気も高く、華麗かつ意外性に溢れるプレイは「ニコ・マニア」と呼ばれる多くのファンを持つ。
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