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▼選手紹介▼プレースタイル
2009年、ガンバ大阪のトップチームにクラブ史上初となる高校2年次での飛び級で昇格。背番号は安田理大のプロ1年目と同じ「33」。5月20日、ACLグループリーグ第6節のFCソウル戦にて先発メンバーに名を連ね、G大阪の史上最年少デビュー記録を更新する17歳14日での公式戦初出場を果たし、後半19分に倉田秋からのスルーパスに抜けだし、キーパーとの1体1を制し右足でシュートを決め、公式戦初得点も記録した。5月24日、J1第13節の鹿島戦でJリーグ初出場を果たす。しかし、同年11月に開催されたFIFA U-17ワールドカップでは、3試合で無得点と結果を出すことができず、日本代表もグループリーグ3連敗のグループ最下位で敗退した。また、G大阪でもシーズン通して控えメンバーにすらほとんど入ることができず、リーグ戦の出場も初出場の鹿島戦以降はJ1第16節名古屋戦、第17節清水戦のみとなり、2009年の公式戦出場はわずか4試合に留まった。
2010年、開幕前のキャンプ中にチームメイトの橋本英郎からドリブルとシュートセンスが非凡である一方で、オフ・ザ・ボールの動きにおいては課題があると評され、開幕当初は前年同様なかなか出場機会を得られなかった。だが、主力選手にケガ人が続出したことで、この年初めてスタメンで起用された4月10日のJ1第6節大宮戦では、平井将生の同点ゴールをアシストするなど、プロ入り初のフル出場で開幕から5試合連続未勝利が続いていたチームのリーグ戦初勝利に貢献。4月24日、J1第8節FC東京戦でリーグ戦初得点を挙げ、ACLグループリーグ第5節の水原三星戦では、ロスタイムに決勝点を挙げチームの逆転勝利に貢献。同年10月に開催されたAFC
U-19選手権では、グループリーグ第2戦のベトナム戦でハットトリックを達成する活躍を見せるも、日本代表は準々決勝で韓国に0-3で敗退。G大阪ではシーズン中盤から高校3年生ながらレギュラーに定着し、主に2トップの一角、または左サイドハーフとして起用され、2004年に森本貴幸が記録した高校生Jリーガーのシーズン最多得点(4得点)を更新する7得点を挙げる活躍を見せ、G大阪所属選手・G大阪下部組織出身者としても初となるJリーグベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞し、G大阪の公式応援番組『GAMBA
TV〜青と黒〜』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』では、選手とサポーターが選ぶシーズンMVPに選出された。 なお、2010年のJ1リーグ全体で日本人選手トップのシュート数を記録した。また、AFCアジアカップ2011の予備登録メンバーにも選出された。
2011年、背番号をかつて松波正信や播戸竜二が付けていた「11」に変更。ポジションも左MFやトップ下など複数を担当することになった。しかし、中盤でのゲームメイクに徹するあまり、本来の持ち味である突破力や決定力を発揮できず、開幕から公式戦8試合連続無得点が続き、スタメンを外されることもあったが、5月11日のACLグループリーグ最終節の天津泰達戦で、遠藤保仁から譲ってもらったPKを決めて、公式戦9試合目でシーズン初得点を挙げ、日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督が視察に訪れた5月15日のJ1第11節福岡戦で、リーグ戦初得点を挙げた。5月27日、ザッケローニからは「まだA代表には値しない選手」と厳しい評価を受けるも、将来性を買われ日本代表に初選出された。6月のキリンカップで、A代表初出場とはならなかったが、本人は初めての代表合宿で大きな経験を得られたと語っている。
6月27日、ドイツ・ブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンへの完全移籍のオプション付きとなる1年間の期限付き移籍が決定した。7月13日、移籍前のラストゲームとなったJ1第4節神戸戦では、有終の美を飾る1得点1アシストの活躍を見せ、試合後のセレモニーではジュニアユース時代から6年半を過ごしたクラブやサポーターへの感謝の言葉を述べ、欧州での活躍を誓った。
バイエルン・ミュンヘン時代 [編集]2011年7月18日、現地ミュンヘンで入団会見が行われた。背番号は「14」。7月20日に行われたプレシーズンマッチ、リーガ・トータルカップのマインツ戦で先発デビュー。バイエルンのホームスタジアムアリアンツ・アレーナでのデビュー戦となった7月27日のアウディカップ決勝FCバルセロナ戦では移籍後初のフル出場。8月13日、リーグ戦第2節VfLヴォルフスブルク戦でブンデスリーガ初出場を果たすも、途中出場で試合終了間際に途中交代となるほろ苦いデビュー戦となった。
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